S
ヨアブは王に言った。「あなたの神、主がこの民を百倍にも増やしてくださいますように。
主君、王御自身がそれを直接目にされますように。主君、王はなぜ、このようなことを望まれるのですか。」
サムエル記下 24:3
ところが、人口調査を終えたあと、ダビデの良心は痛み始めました。彼は主に祈りました。
「私はとんでもない過ちを犯してしまいました。どうか、私の愚かなふるまいをお見逃しください。」
サムエル記Ⅱ 24:10 リビング訳
O
今日読んだ第二サムエル記には、ダビデがイスラエルの全部族の人口調査をした時のことが書かれている。この人口調査は神様の望まれることではなかった。にも関わらず、ダビデは頑なにこのことを進めようとした。そのダビデを神様は無理やり止めようとはしなかった。しかし、神様はダビデの周りの人々を通して、そのことが間違っていることを気づかせるようにされた。それでも、ダビデは考えを変えることはなかった。そして人口調査は実施されることとなる。その人口調査のあと、ダビデの心に変化が起こった。神様の望まれないことをしたことに気づき、良心が痛み始めたのだ。自分のしたことが罪であったこと、そして主の赦しが必要なことにダビデはようやく気づくことができた。
このことから学ぶことができる大切なこと、その一つは、自分の心は必ずしも正しさや過ちを正確に教えない、ということだ。
A
Scorpionsというグループの曲にはこうある。
This is the time for yourself to be free
You gotta follow your heart
今こそあなた自身のための時、自由になる時だ
あなたの心に従うんだ
きっといい曲なのだろう。けれど実際には、自分の心に任せて従う生き方には危険が伴う。
何が正しくて、何が間違っていて、何がなすべきことで、何がなすべきことでないことだろうか?それを知るためにどうしたらいいだろう?自分の心に聞くことだろうか?いやいや、自分の心を見つめることによってそれらを判断するべきではない。なぜなら、ダビデが間違った選択をした時、彼の心はそれが間違っているとダビデに教えなかったからだ。
同じように、僕が間違った選択をしようとしていたとしても、僕の心は必ずしも罪悪感を感じたりして、間違っていると教えてくれない。神様の願いではないことを教えてはくれない。
僕が選ぶべきことは、自分の心に信頼し、従うことではない。ではどうしたらいいのか?この章からその一つを学ぶことができる。それは、神を愛する人々の言葉、助言を大切にすることである。
例えば、ダビデの側近で軍の司令官であるヨアブは、ダビデに対して、人口調査が正しくないことを進言していた。しかしダビデは聞く耳を持てなかった。また、ダビデが彼の先見者ガドから主の言葉を届けられた時、ダビデはその言葉があったがゆえに祭壇を築きはじめ、主からの赦しと回復のプロセスを歩むことができた。神様は時に主を愛する人々の口を通して、僕にご自身の想い、願いを教えてくれることがあるのだ。
自分の心に従うことが、間違った選択をしてしまうことがあることを忘れないでいよう。そして、自分の心に頑なに決めていることがあったとしても、それが間違っていないと感じたとしても、周りにいる、神を愛している助言者の言葉に耳を傾け、選択を吟味することを大切にすることを選ぼう。そして何よりも、聖書の言葉を通して、神様の想い、その言葉を直接受け取っていきたい。
P
愛する神様、あなたの御名を賛美します。今日はダビデの姿から、自分の心がどう感じるかは、僕の選択を正しく導かないことがあることを教えられました。主よ、あなたの想いをキャッチできず、頑なな心を持つことがある僕を赦して下さい。どうか僕が自分の周りにいる、あなたを愛し、知恵のある人々への言葉に耳を傾けることができるように教えてください。彼らを通してあなたはご自身の想いを語られることがあります。また、何よりも祈りや聖書の御言葉を通してあなたは僕に語られます。そういったプロセスを通し、考え直すべき思い、考えがあることを僕に教えてください。そしてあなたの想いを我が想いとしながら人生の選択をしていくことができますように。イエス様の御名によって祈ります。アーメン