S
だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、
しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
エフェソの信徒への手紙 6:13
立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、
平和の福音を告げる準備を履物としなさい。
なおその上に、信仰を盾として取りなさい。
それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。
また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。
エフェソの信徒への手紙 6:14-17
O
エペソの手紙も最後の6章。パウロはこの手紙の最後に、エペソの人々、ひいては現代に生きるすべてのクリスチャンたちにむけて、人には生きる中で直面する戦いがある、その戦いに備えるようにと励ましている。そしてその戦いというのは、いわゆる肉体的な戦い、戦争ではなく、心、霊の中に起こる、暗闇を支配する悪魔との戦いであることを教えている。
その戦い対して、まずパウロは、主に依り頼み、神様の力によって強くされることを励ましている。そしてもう一つ、その戦いに対しての鍵を教えている。それは、神の武具を身に着ける、ということだ。なんのために?悪魔の策略に対抗して立つことができるように、である。
A
僕達は家を出る前に支度をする。もちろんおしゃれをしたい、なんて思いもあったりするかも?だが、まず考えるのは、その日の天候である。晴れか雨か?気温は高めか低めか?長袖?半袖?化粧水?日焼け止め?雨が降りそうなら折り畳み傘?
その日1日を過ごすために最適な服装、また持ち物を準備して出かける。もしもゲリラ豪雨が予測されている日に、天候チェックを怠り、準備不足で出かけるならば、びしょ濡れになって帰ってくることになるだろう。
僕達はこの地上では旅人のようだ。その旅をどのように過ごすかは、まず第一に、戦いがある、ということを知ることである。僕達の旅は快適な温度の快晴の日だけではない。肌を焼くような日差しが強い日があり、傘を支えるのも困難なほど、風と雨が吹き荒れる日もある。
そして第二に、その戦いに備える、ということである。戦いがくることは、残念ながら避けられない。けれど、僕達がそれを知っているのなら、備えることができる。備えることを通して、いつか来る困難の日々の中も歩んでいくことができるのである。
どんなものを備えたらいいのか?パウロは続く14-17節で武具に例えながら、それらを教えてくれている。
真理を帯として腰に締める
正義を胸当てとして着ける
平和の福音を告げる準備を履物とする
その上に、信仰を盾として取る
それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるから
また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取る
はっきりとその意味がわかるものもあるだろうし、具体的に理解できていないものもあるだろう。けれど全てを着こなす、というか使いこなすというか、、、それは最初からはできなかったりする。実際に身につけ、体験していく時に、最善の用い方、そしてその意味や価値を知ることができるだろう。
僕の今のシーズンに特に必要なのは、霊の剣、すなわち神の御言葉をもって戦うことである。来る困難の中を戦い、進むべき道を切り開く、そのために、さまざまな剣が神様によって用意されていることだろう。
それはまず僕の心に備えられていなければならない。そうでなければ、打ち倒されてしまう戦い、進めない道があるはずだ。備えあれば憂いなし、なんて言葉もあるが、日々のディボーションが本当に大切だ。そしてその時間だけではなく、時間をとって聖書を読むことを大切にしていこう。
僕の人生には戦いがある。けれどそれは不幸でも不運でもない。「わたしはある。」という方がいて、その方の御言葉があるのだから。
P
愛する天のお父さん、あなたの御名を賛美します!僕はこの地上では旅人、寄留者です。そしてこの地上での旅の中には戦いがあります。けれど「わたしはある。」という方の言葉があります。その言葉を剣として与えられながら、この地上での旅を戦い抜くことができるよう助けてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン