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何故の行動?

S

ですから、わたしはあなたに言います。
この人は多くの罪を赦されています。
彼女は多く愛したのですから。
赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。」
ルカの福音書 7:47 新改訳2017

 

O

ある日イエス様が当時の宗教指導者たちのところで食事を共にしている時のこと。一人の罪深いとされていた女性がイエス様のことを聞いてそこへやってきた。この女性はイエス様を見た時に、その足が洗われていないことに気づいた。

女性の心の動きの描写はない。けれどこの女性は「なんでイエス様の足が洗われていないんですか?!お水はどこですか?拭くものを持ってきてください!」そんな風に言えるわけがなかった。その場所には自分のことはさておいて、人々を厳しく裁く宗教指導者たちがたくさんいたからだ。「罪深い自分がなにを言えるだろう?」そう思っていたかもしれない。

詳細はわからないけれど、彼女にはイエス様の赦しが必要だった。そして宗教指導者たちはそうでなくとも、イエス様は自分を受け止めてくれる、きっと赦してくださる、彼女はそう信じていた。そう思うといてもたってもいられなかった。溢れる涙で足を濡らし、自分の髪の毛を使ってイエス様の足の汚れを拭い、口付けし、そして香油を塗った。

宗教指導者たちはその行動を罪深い者がする行動だと思っただろう。しかし彼女の行動は、愛されている者、赦されている者がする行動だった。そしてイエス様は言われた。

この人は多くの罪を赦されています。
彼女は多く愛したのですから。
赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。

 

A

罪滅ぼしという言葉がある。善業を積んで、過去の罪の償いをすることだ。世の中の宗教はこれを教える。しかし真(まこと)の神であるイエス様は、そうではない。もしもイエス様のために何かをしたいと心から願うなら、始まりは僕達の行いではない。始まりは、イエス様ご自身、そしてイエス様のしてくださったことを、信じて受け止める信仰から始まるのだ。

無条件の愛、そして赦し。これらをどれだけそのままに受け止めることができるか。それが僕達の心の深いところを震わす。その心は僕達の手と足を突き動かす。

僕が何かを行うのは何故だろうか?もっと愛されたいから?罪滅ぼしをしたいから?

いや、まず神様の無条件の愛と十字架の赦しを受け取ろう。その先に、自分に与えられているものを持って心からイエス様に捧げていくことだろう。

 

P

愛する神様、あなたの御名を賛美します。あなたの無条件の愛と赦しに感謝します。僕がする一つ一つのことが、もっと愛されるために、罪滅ぼしをするために、ではないように、いつもリマインドしてください。2025年、あなたの豊かな愛、あなたの圧倒的な赦しを受け取り、感謝と喜びをもってあなたのそばで歩むことができますように。イエス様の御名によって祈ります。

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