S
イエスはそれに気がついて言われた。「信仰の薄い人たち。パンがないからだなどと、なぜ論じ合っているのですか。まだ分からないのですか。五つのパンを五千人に分けて何かご集めたか、覚えていないのですか。 マタイの福音書 16:8-9
O
ある日イエス様が弟子たちと共に湖を渡ろうとしていた時のこと、イエス様が弟子たちに話し始めた。「あの宗教指導者たちのパン種に気をつけないさい。」するとその言葉に、弟子たちは、「イエス様は怒ってる?がっかりしてる?きっと自分たちがパンを忘れたから、こう言っているんだ…」と議論を始めた。
しかしイエス様が話した意図はそうではなかった。この場面の直前にイエスを試そうとしたパリサイ人たちとのやりとりの流れから、イエス様は弟子たちに話をされたのだ。
それを聞いたイエス様は弟子たちに、「信仰が薄い人たち。なぜ…」と言われた。なぜ弟子たちはイエス様の伝えたい意図に気づくことができなかったのだろう?
その理由の一つは、イエス様との歩みの中、彼らが見てきた奇跡を忘れてしまったからではないだろうか?いや、厳密には忘れてはいなかったはずだ。(人はどうしたら、五つのパンから五千人、七つのパンから四千人が満たされた奇跡を忘れることができるだろう?)
けれど、それらの出来事は弟子たちの記憶の遠く遠くへと、忘れられていたのだった。神様のしてくれたことを忘れてしまう。それは信仰を薄くし、そして本来気づくべきことに対して、僕達の目や耳を塞いでしまうのだ。
A
人は人生に起こる大切な出来事を、忘れないように記録する。結婚式なら写真や動画。またその時々のことは、感謝や喜びを日記に綴る。人との関係においては、メッセージや手紙を書いて送ったりする。
そういったものは、きっと人生に起こる嵐の日、人の心を支え、大切なことを思い起こさせ、もう一度進む力や、希望を与えてくれたりするだろう。
神様との関係はどうだろうか?神様のしてくださったこと、そのどれほどを僕は覚えているだろう?多くのことを忘れ、多くのことを記憶のどこかに置いてしまっていないだろうか?そんな時、僕は信仰よりも、状況や感情で考え、選択をしていく傾向になっていく。
神様のしてくださったことを忘れないようにしたい。日々の感謝をノートをつけたり、周りの人と、神様のしてくれた御業や恵みをお互いにシェアしよう。
神様のしてくださることを忘れないことは、僕の目を、耳を開き、信仰によって歩むことを助けてくれるだろう。
P
愛する神様、あなたの御名を賛美します。あなたが今日も僕を愛し、忘れずにいてくださること、心から感謝します。けれど僕はあなたのしてくださったことを、どれほど忘れ、どれほど記憶のどこかに置いてしまっているでしょう?そして葛藤し、信仰の一歩を踏み出せない時があります。あなたと出会ってから20年。あなたがしてくれた、見せてくれたいくつもの奇跡、そのことを思い起こさせてください。日々の感謝を書き残し、みんなとシェアしながら、あなたとあなたのしてくれることを忘れることのないように助けてください。そしてあなたの声に耳を傾け、信仰によって進むことができるように助けてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン