Topic:献金、信仰、教会
Scripture(聖書)
1ところで、神様がマケドニヤの諸教会にどんな恵みを施されたか、お知らせしたいと思います。
2多くの試練や困難のただ中にあったマケドニヤの諸教会が、ひどく貧しいにもかかわらず喜びに満ち、その結果、あふれるほど惜しみなく、他の人々に施すようになりました。
3自分たちの力に応じてささげたばかりでなく、力以上にささげました。私がやかましく催促したからではなく、自発的にそうしたのです。
(第二コリント8:1〜3 リビングバイブル)
Observation(観察)
マケドニヤの諸教会に与えられた恵みがあった。
それは・・・
①喜びに満ちていた
②あれるほど惜しみなく、他の人々に施していた
③自分たちの力に応じてささげていた
④自分たちの力以上にささげていた
⑤パウロに催促されたからではなくて、自発的にささげていた
しかも、これらの積極的恵みは試練や困難の中、極度の貧しさの中にあったにも関わらず、である。
Application(適用)
日本に春夏秋冬といった四季があるように、誰の人生にも様々なシーズンがある。
そして、教会にも色々なシーズンがある。
順風満帆の時もあれば、激しく逆風が吹く時もある。
嵐のシーズンもある。
しかし、いかなるシーズンでも出来ることがある。
それが「喜ぶこと」と「ささげること」。
しかも、マケドニヤの諸教会は貧しさの中にあっても、この2つを実践した。
自分たちが貧しさの中にあるにも関わらず、である。
惜しみなく、自分たちの力以上にささげたのである。
信仰は「痩せ我慢」でもないし「強制」でもない。
実際、パウロに強制されて彼らはささげたのではない。
それは自発的なものであった。
彼らがイエス様を通して与えられた恵みの偉大さを知っていたから。
自分たちが信じている神が全能の神であり、必ず必要を満たす神であることを知っていたから。
ささげる者に与えられる報いを信じていたから。
6しかし、次のことは心にとめておいてください。すなわち、少ししか与えない者は、少ししか受け取れないということです。少ししか種をまかない農夫は、わずかの収穫しか得られません。たくさんまけば、たくさん刈り取ります。
(第二コリント9:6 リビングバイブル)
これが聖書の原則である。
NHYも数々のピンチを通らされてきた。
しかし、喜びを失わず、ささげる教会でありたい。
Prayer(祈り)
主よ。
あなたに与えられている計り知れない恵みを感謝します。
マケドニヤの諸教会が試練と困難と貧しさの中にあっても、喜ぶことを選び、喜びに満ち溢れていたように、NHYもいつも喜ぶ教会でありますように。
また、彼らは貧しさの中にあっても、力以上にささげました。
NHYも喜んでささげる教会、与える教会、施す教会とならせてください。
イエス様の名前でお祈りします。アーメン