Scripture
弱い人たちには、弱い者になりました。弱い人たちを獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。
(コリント人への手紙第一 9:22 新改訳2017)
Observation
パウロは自分に与えられた自由をどのように用いたかを話してくれた。
1、ユダヤ人にはユダヤ人のようになり
2、律法の下にある人には律法の下にある者に
3、律法を持たない人には律法を持たない者に
4、そして弱い人には弱いものに
全てはその人たちを救うため
つまりその魂に手を伸ばすため
Application
パウロは自分の目線で人々の魂に触れようとしなかった。
こっちのステージに上がってこいとも言われなかった。常に、相手の目線にさがり、相手と同じ立場になって、なんとしてでも人々の魂に手を伸ばそうとした。以前、児童に関する仕事についていたときのこと。児童に向けて知って欲しい事柄をポスターにまとめて、掲示することになった。それも掲示板ではなく、彼らが見てくれそうなところ全てに掲示することに。貼り出していくとある職員に呼び止められた。
「はい、ストップ」
「今、ポスター貼ってますね?」僕は「はい、貼ってます」と答えました。すると・・・
「では、そのから膝をかがめてください。」
膝をかがめました。
「その位置から今貼ったポスターは良く見えますか?」
はっとさせられた。
日頃、自分の目線だけで過ごしていると子供の目線があることをすっかり忘れていた。それは介護施設で働いている時もそうだった。何不自由ない自分と同じ目線で相手を見ると、全くズレてしまう。今日、パウロが教えてくれた姿勢はとても大事である。弱い人の心に手を伸ばしたいのなら、相手と同じ目線にまで謙ることを教えられる。
1人でも迷っている魂に寄り添えるものとなりたい。
そのためには、自分の目線でもなく、相手の目線。自分の考えを押し付けるのでもなく、相手の立場になる。パウロが取ったその姿に倣うものとなっていきたい。
Prayer
天のお父さん
目線を下げることができますように。相手にこっちがわにこいと言うものでなく、相手に謙っていくことを教えてください。自分から見えるものばかりに捉えれず、相手からも見えるものを見ていきたい。相手の心に寄り添えるものとならせてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。