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「捨てちゃうの?!」

Scripture

イエスは彼らを見つめて言われた。「では、『家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった』と書いてあるのは、どういうことなのですか。」
ルカの福音書20:17 新改訳2017

Observation

家を建てる者たちが捨てた、ということはどんな石だったのか?
当時の建築に欠かせなかったのが、石。
しかし、その石も全てが使われるわけではなかった。中には選別され、用済みとして捨てられる石もあった。まさにイエス様は人々に見捨てられ、無視され、罵倒された。しかし人々が無視し、むしろ敵視して命を葬ったこのお方こそ本物の救い主だった。

捨てられた石

今日は特に、このフレーズが心に残った。

Application

この社会では選別されて使えなくなった不用品は、用済みとして捨てられる。
食材においてはどんなに勿体無いと思っても廃棄される。日本財団ジャーナルのサイトを見ると、世界で捨てられる食べ物の年間廃棄量は、25億tと言われている。世界で生産された食品の40%が廃棄されているという。正直言って、勿体無い。まだ食べられるのに、まだ使えるのに。まだ生きているのに。そうしたものが社会では不要とされて捨てられているのだ。余分として捨てられているのだ。
これは物に限った話ではない。
人材だって同じように切り捨てられていく時代である。

だけど、聖書はこの捨てられた石が礎の石となったと言うのだ。

このことを聞いて、僕は人をどんな目で見るだろうか?
イエス様は捨てられた石であったが、実はそれが救いの礎であり、イエス様はクリスチャンの信仰の土台となっている。つまり、切り捨てていい、捨てて放っておいていい存在はいないということだ。周りの人をそのような目で見れるようになりたい。もういい、放っておこう、ではなくて嫌まだ諦めないで何とかできないだろうか、そのような眼差しを持っていきたい。自分だって本当は見捨てられていてもおかしくない。だけど、これほどに愛され、守られ、救われている。

自分が今度は誰かをそのような眼差しを持って愛する番である。

Prayer

天のお父さん
僕は人を簡単に諦め、見捨ててしまう愛のない者です。どうか、愛することを教えてください。捨てられた石こそが大事であったように、そのような存在こそ大切であることを教えてください。イエス様、あなたを捨てた人間を愛し、救い出してくださってありがとうございます。自分がもし、捨てられ、見捨てられるようなとき、イエス様を思い出します。必ず、そこに希望があることを信じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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