Scripture
‘そこに、十八年もの間、病で腰が曲がったきりで伸ばすことのできない女がいました。 イエスが女をそばへ呼び、「さあ、あなたの病気は治りました」とおっしゃって、 手をふれると、女の腰は伸びました。女は喜びを抑えきれず、神をあがめ、賛美しました。 ‘
(ルカの福音書 13:11-13 リビングバイブル訳)
Observation
イエス様はある日、会堂で教えておられた。
そこにいたのは文脈を見るにイエス様、そして18年病で腰が曲がったきりの女性、会堂司、そして群衆。
ここでイエス様は「イエスが女をそばへ呼び」とあるように、彼女を自分のところに呼び出した。新改訳2017訳では、「イエスは彼女を見ると、呼び寄せて」とある。イエス様は18年病に苦しんでいた女性を見ておられた。その眼差しを向けておられた。また、彼女を呼んだ。彼女に声をかけた。
Application
一方で癒された女性を前に、会堂司たちは安息日に癒しを働くなど「言語道断だ!」とジャッジを始めた。
18年である。
数日ではない。
18年間、彼女はこの病を抱えていた。
その間に彼女が会堂に来たのは今回だけではないかもしれない。たとえ、会堂に来たのはこの日が初めてであってもこの地域には住んでいた。その地域の人なら彼女を知っていたかもしれない。だけど、これまで彼女に声をかけた人がいたのだろうか?イエス様はその眼差しを彼女に向けた。そして、声をかけられたのだ。「こっちにおいで」と
この優しさがイエス様の真骨頂である。
誰も声をかけず目を向けなかった人にイエス様は目を注ぎ、声をかけられた。
彼女は喜びを抑えきれず賛美に溢れた。
しかし、会堂司たちはそのことに目を留めることができなかった。安息日にしていいことなのか、そのことをジャッジすることで頭がいっぱいだった。彼らは彼女を、そしてイエス様を、いやそれだけじゃない群衆までも何かそうしたものに縛りつけようとしていた。イエス様は違う。彼女をこの束縛から解放したのだイエス様は彼女を自由にするために彼女に目をとめ、声をかけられた。
今日、僕の目はどこを、いや誰を見ているだろうか?
1、弱さを覚えている人に目を向ける
2、自分の愛の足りなさに目を向ける
3、信仰の創始者であり完成者であるイエス様を見つめる
Prayer
天のお父さん
イエス様は弱い人、病の人、孤独を覚えている人に目を向けました。声をかけました。僕の愛は足りません。自分しか見えていないし、人の悪いところしか見えない小さいものです。どうか今日、僕の心を耕してください。新しい心へと変えてください。イエス様の愛を持って、眼差しを向けることができるように、声をかけられるものとなりますように。人を縛るのではなく、イエス様のように解放を届けるものとなれますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。