Scripture
とにかく、内にあるものを施しに用いなさい。そうすれば、見よ、あなたがたにとって、すべてがきよいものとなります。
ルカの福音書 11:41
Observation
パリサイ人の家に遊びに行った時、イエス様が手をあらわないのを見てびっくりした家主。手を洗う習慣はきよめるための宗教的意味があった。そこから、イエス様は、パリサイ人に対して、外側をきよめるだけではなく、内側を清めるように、また内側がきよくなればすべてがきよいものになると言われた。外側が、きよくても内側が聖いとは限らない。でも内側がきよいのであれば、外側もすべてがきよいと、聖書には書かれている。
外側で施すのではなく、内側にあるもので施すようにと言われたイエス様。確かに、外側:ハード面は見える物質的なもので、視覚的に捉えることができるから、人の目にもわかりやすい。だけど、心が伴っているかどうかはまた別なのだ。
愛は、ハード面で判断される世の中かもしれないけど、私たちの天の父である神様は、内側をも知っておられる方。ハード面でうまくいっている、きよい、素晴らしい。と判断するのでなく、ソフト面を自分自身が吟味することを改めて語られた。
Application
ハートチェックを何より大切にする。内側にあるものをいつもチェックしよう。動機が正しいのか、愛から来ているのか。誰かのために何かをするときも、神様のために何かをするときも、自分の内側をいつも大切にしよう。また、愛することを選ぶとき、内側のものを用いよう。自分自身に物質的なものがないから、愛を与えられない。施すことができない。手を差し伸べることができないと判断してしまうところがあった。だけど、イエス様はむしろ、内にあるものを施しに用いるようにと言われた。それは目に見えないことかもしれない。物質的には満たすことを手伝えないかもしれない。でも、心を注いで祈り、連絡したり、話を聞いたり、親切な言葉をかけたり、許すことだったり、ソフト面でできることもたくさんある。いやむしろ、そのほうがもっと大切で、永遠に残るものだ。内にあるもので愛することへ呼ばれていることを受け取ろう!
Prayer
天のお父さん、あなたの御名を褒め称えます。大切なリマインドをくれてありがとう。私自身、ハード面を見て人や自分を判断してました。だれかに誕生日プレゼントを買ってあげられないとか、そういうことで愛がないって思われないか心配している自分もいました。でも、私は内にあるもので人を愛することに呼ばれているんだと励まされました。もちろん示されたらなんでもします。でも、いつも私自身がソフト面を大切にして、心を注いで愛すること、仕えること、赦すこと、祈ることを選んでいきたいです。主よ用いてください。私の心がいつもあなたの御前に喜ばれるものであるように導いてください。あなたを愛します。 In Jesus name Amen