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「賛美への招き」

Topic: 賛美、人生、栄光   Scripture(聖書) すべての国々の民よ 手をたたけ。喜びの叫びをもって 神に大声で叫べ。 (詩篇47:1 新改訳2017)   さあ、皆さん、喜んで手をたたきましょう。大声を上げて主をほめたたえましょう。 (詩篇47:1 リビングバイブル)     Observation(観察) 私たちは賛美へと招かれている。   ①すべての国々の民   ②手を叩け   ③喜びの叫び   ④大声での叫び     Application(適用) このところ、改めて賛美について考えている。 14歳でクリスチャンになり賛美の世界を知った。 それは他の音楽にはない喜びと満たしを与えてくれた。 学生時代の当時、所属していたバンドを辞めたほどだ。 時間さえあればギター片手に部屋で一人賛美していた。   ところが、今の僕はどうだろうか? 10代の頃の責任のない学生時代と今は違う。 時間的余裕も違う。 しかし、それにしても個人的な賛美が足りないかもしれない。   日曜の礼拝等、教会の公の集会で賛美するのは当然だとしても、一人の時間はどうだろうか? 賛美の時間よりもSNSやテレビの方が多いのでは!? 単に時間が多ければ良いというものでもないが、先日のPastor Jayのメッセージでも「時間を多く費やしているものをチェックする」ことが語られていた。 なぜなら、それが偶像礼拝に陥る可能性があるからだ。 特に一人でいる時間、家庭内にいる時の時間の用い方だ。 それは衝撃的事実だが、なんと自分が偽善的な信仰に陥っているか気付かされるのだ。 「牧師」なんて肩書きがあって、それは一般的には「聖職者」などと言われるが、ちっとも聖くなんかないのだ。 結局、自己中な自分を発見するのだ。だから、聖書を読むとハッとさせられる。   自分のことばかり考えてはいけません。他の人を思いやり、何がその人にとって最善か、よく考えなさい。(第一コリント10:24 リビングバイブル)   他のものに目を向けさせ、賛美を奪うのも巧妙なサタンの手口ではないか。 この唇は賛美するため。 この心は主を賛美するため。   そして、僕の人生のすべては主を賛美するため!   こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。(第一コリント10:31 新改訳2017)     Prayer(祈り) 主よ。 今日は昨晩から続く雨天で肌寒い土曜日を迎えています。 キッズチャーチ遠足は雨プロに変更ですが、楽しい時となりますように。 僕の人生はあなたのものです。 僕が自己中に自分を満足させるために使っていることがなんと多いことか。 主よ、ゆるしてください。 僕の人生はあなたのものです。 どんな時も賛美があふれ、何をするにも神の栄光のあらわれのために用いてください。 あなたを賛美します。 イエス様の名前でお祈りします。アーメン      

「開拓せよ!」

Scripture 山地もあなたのものとしなければならない。それが森だとしても切り開いて、その隅々まであなたのものとしなさい。カナン人が鉄の戦車を持っていても、強くても、あなたは彼らを追い払わなければならない。」 ヨシュア記 17:18   Observation ヨセフ族の民は、くじで割り当てられた地に対して、不満があった。民の人数は祝福され、こんなにも多くなったのに、なぜ一つしかくれないんだ!と。ヨシュアは彼らに対して、森に行って開拓するように言った。彼らは、「山地はやだ。でも、平地にもカナン人がいて、戦車を持ってたりするんだ!」ヨシュアは、だから、山地もあなたのものとし、隅々まであなたのものとしなさい。と言った。 文句や、言い訳を言うのではなく、神様が与えてくれた場所を、隅々まで、勝ち取るように!と。   Application 神奈川を勝ち取る!NHYも経済的な面で、また、会場キャパを考慮しても、なかなか適した場所が見つからない状況が続いている。 文句を言っているわけではないけど、言い訳をしているわけでもないけど、目を広げれば、他にも未開拓の地がある。 NH湘南での礼拝がスタートして一年半が経った。横須賀にもビジョンがある。「切り開いて、隅々まであなたのものとしなさい。」と神様は、NHYを開拓へと呼んでいると改めて励まされた。 チームづくりなどさまざまな準備が必要だけど、まず祈ること。どこから進んでいくべきか、祈り求めよう。 そして、ヨセフ族の境界線がカナ川だったように、このNHYに与えられた地を境界線の隅々まで、勝ち取ろう。   Prayer…

「ソリ・デオ・グロリア!」

Topic:聖霊、体、栄光、管理、健康   Scripture(聖書) 19体は、神様があなたがたに与えてくださった聖霊の家であって、聖霊がそこに住んでおられるのです。あなたがたの体は、自分のものではありません。  20神様が多額の代価を払って、あなたがたを買い取ってくださったのです。ですから、あなたがたの体のどの部分も、神の栄光を現すために用いなさい。その所有者は神だからです。 (第一コリント6:19-20 リビングバイブル)     Observation(観察) コリント教会に蔓延していた腐敗をパウロは指摘する。 クリスチャンはイエス様の贖いのゆえに、恵みのゆえに基本的に自由である。 でも、それは罪を犯すための自由ではなく、罪を犯さない自由。 そして、不品行が横行する中でパウロは体に対する新たな視点を教える。   ①体は聖霊の家(宮)   ②体の所有者(オーナー)は神様   ③神が多額の代価で買い取ってくださった体   ④体のどの部分も神の栄光のために用いる     Application(適用) この体が主の宮であるということを受け止めると、消極的には不品行を避けるということに繋がり、積極的には体をきちんと管理して、神の栄光をあらわすことを意識することに繋がる。 そのためには暴飲暴食を控えて、健康をきちんと管理することも含まれる。   48歳。いわゆるアラフィフ。 年齢的な代謝の低下も相まって、体重は過去最高を行進している。 完全に中年太りである。 僕は基本的に食べることが大好きだ。 しかし、いつまでも20代と同じ食べ方をしていてはダメなのだ。 気持ちは若いつもりでも、体はしっかりアラフィフなのだ。   昨晩のLeaders Life Groupでは「備える」ということを話した。 僕自身が近づく50代に向けて備えなければならない。   今日は餅つきParty、夜は中野師匠との会食。 食べ方を気をつけよう(笑)。   筋トレはそこそこしているが、有酸素運動が足りない。 何より柔軟性が足りないから腰を痛めやすいし、怪我もしやすい。 ストレッチをもう少し優先して行おう。   今朝もう一度主の前に文字通り「献身」して、僕の体のすべてが主の栄光のために用いられるように祈ろう。 僕の人生を通して主の栄光があらわされるように。   ソリ・デオ・グロリア!     Prayer(祈り) 主よ。 あなたが僕の体を、人生を買い取るために多額の代価、いのちをかけてくださったことを感謝します。 この体のすべてが、僕の人生のすべてが、ただあなたの栄光のために用いられますように。 また、今日は婚約記念日です。25年前の今日3/21に婚約式をしました。 そして、明日が結婚記念日です。24年前の3/22に結婚しました。 僕たち夫婦が主の栄光のために用いられますように。 今日は餅つきParty、中野師匠との会食があります。 食べ方に気をつけ、また運動や柔軟を大事にして、与えられた体をちゃんと管理して、主の栄光のあらわれとなりますように。 イエス様の名前でお祈りします。    

「アカンやつ」

Scripture 'しかし、イスラエル人の中に罪が潜んでいました。主にささげるもの以外は滅ぼし尽くせというヨシュアの命令が、実は守られていなかったのです。ユダ族のカルミの子で、祖父はザブディ、曾祖父がゼラフであるアカンが、戦利品の一部をふところに入れていました。そのために、主の激しい怒りがイスラエルの民に下ったのです。 ふと見ると、バビロン産の美しい外套と、金の延べ棒と、銀とがあったのです。銀は二百シェケル、金は五十シェケルの値打ちがあると思いました。すると、どうしようもなく欲しくなり、それらを自分の天幕(テント)の下に埋めたのです。銀はいちばん深い所に隠しました。」 ' ヨシュア記 7:1,21 リビングバイブル訳 Observation これまで順調に神の戦いに勝利してきたヨシュアとイスラエルの民だったが、ここに来てアイ攻略がうまく進まなかった。なぜなのか。ヨシュアは神様に対して質問をぶつけた。すると神は答えられた。「あなた方の中に罪が潜んでいる。」 ヨシュアが調べると犯人は、アカンであることがわかった。 Application アカンは一体、何をしてしまったのか? なんと、戦利品の一部をちょろまかしたのだ。徹底的に滅ぼし尽くせという命令にもかかわらず、アカンは誘惑に負けて余計なことをしてしまったのだ。彼がちょろまかしたのは、ビロン産の美しい外套と、金の延べ棒と、銀とがあったのです。銀は二百シェケル、金は五十シェケルの値打ちがあるものだった。 相当なものを盗んでいたアカン。彼が迫られた時の言い分が実に、考えさせられる。 「どうしようもなく欲しくなり。」 目の前に見える輝く金銀を見てどうしようもなく欲しくなってしまった。 彼はその後、問い詰められて白状する。 自分のした罪を告白したのだ。 しかし、彼は裁きにあい殺されてしまう。 心底、イエス様がこの地上に来てくださって、十字架にかかってくださったことに感謝せずにはいられない。神様は実は優しい一面と厳しい一面がある。もし、神がイエスを十字架につけず、どこにも罪からの救いがなければ僕はもう殺されている。 だけど、イエス様はやって来られた。 絶望的な死、罪の裁きから僕たちを救い出すためにやって来てくれた。 1、あとちょっとが危険 2、放っておくのが危険 3、隠さずにイエス様に告白する Prayer 愛する天のお父さん イエス様が十字架にかかってくれて罪を身代わりに背負ってくれなかったら、僕はどうなったか。悔い改めの道が開かれ、告白するならあなたはもう一度立ち直ることを赦してくださる。なんて大きな愛でしょうか。どうか、ちょっとが危険なこと。そして自分の気づいていない罪さえも放っておかずに主よ、あなたが取り扱ってください。告白へと導いてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。