Scripture:
“So we don’t look at the troubles we can see now; rather,…
Topic:人生、ヨブ、死
Scripture(聖書)
16この後ヨブは百四十年生き、自分の子と、その子の子たちを四代目まで見た。
17こうしてヨブは死んだ。年老いて満ち足りた生涯であった。
(ヨブ42:16-17 新改訳2017)
16そののち、ヨブは百四十年生き長らえ、孫も曾孫も見ることができました。
17こうしてヨブは十分に年老いるまで生き、幸いな人生を終えたのでした。
(ヨブ42:16-17 リビングバイブル)
Observation(観察)
試練の連続、波乱万丈であったヨブの人生の結末が描かれている。
①長寿を全うした。
②孫も曾孫も見ることができた。
③満ち足りた生涯であった。
Application(適用)
昨日11/14は親友の命日(11年)。
高校時代に知り合い、友となり、お互いに献身の志を与えられて、同じ神学校に導かれて、いつも励まし合い、祈り合い、切磋琢磨してきた。
互いに22歳で神学校を卒業して、現場に出た。
彼は高校生伝道、僕は小さな開拓教会の現場へと導かれ、遣わされていった。
末っ子タイプで甘えん坊。誰からも好かれるタイプだった彼がガンにおかされていることを知った時はすでに末期だった。
余命半年の宣告の中、8ヶ月の闘病の末、30代半ばで天に凱旋していった。
あれから11年経ち、自分は48歳。50歳の背中が見えてきたアラフィフである。
自分の地上での人生はあと何年、あと何日、あと何時間あるのか知る由もない。
果たしてヨブのように長生きするかわからないが、とにかく、精一杯与えられた人生を生きていきたい。
ヨブのように孫や、曾孫の顔を見たいという思いはある。
数年前から僕のビジョンの1つは孫や曾孫と礼拝することである。孫や曾孫と一緒に賛美することである。何代にも渡る主の恵みを見てみたいのである。
しかし、いつ天に召されるのかは自分で決められることではないから、主に委ねつつ、期待しつつなのである。
ヨブのように試練のオンパレードのような人生であっても、最後は「満ち足りた生涯であった」と言われる人生は幸いである。
逆に、どんなに物質的に満たされてきた、成功してきたように見える人生であっても、最後が孤独であったり、寂しい人生であったら、それは悲劇である。
「満ち足りた生涯」を生きるために大切なことは・・・
①God first
神を第一にすること
②今を喜び、感謝し、満足すること
今を満足できない人はいつまでも満足しない
③与えること
与えて、与えて、与える。
Givingの人は結局、満たされるというのが聖書的満足人生の原則である。
Prayer(祈り)
主よ。
雨降る寒い朝を迎えています。
でも、心の中にはあなたの優しい愛の温もりを感じます。
愛するPastors Teamと一緒にデボーションできる幸いを感謝します。
主よ、僕の人生はここまでの48年、最高、最幸でした。
すでに「満ち足りた生涯」です。感謝します。
その時がいつかわかりませんが、やがてこの地上を去る時が来ます。
その時まで精一杯使命に生きることができるように。
「こうしてTantanは死んだ。年老いて満ち足りた生涯であった。」と称されるような人生を歩ませてください。
すでに4人の娘たちはあなたを信じ、救いの人生を歩んでいますが、さらにやがて見るであろう、孫たち、曾孫たちも救いの恵みに預かり、そして子供達、孫たち、曾孫たちが主の働き手となりますように。
恵みの主イエス様の名前でお祈りします。アーメン
Scripture
一切のことを、愛をもって行いなさい。
1コリント人への手紙16:14 新改訳2017
Observation
全てのことを愛をもって行いなさい。
これがパウロからコリントの教会へのメッセージだった。
Application
最近、怒りやすく虚しい。
愛することよりも苛立ってしまう。ちょっとしたことでも教会の兄弟姉妹に対しても冷たく態度をとってしまう自分がいる。それは家族に対しても顕著である。
他の誰よりも自分が、愛が欠如している。
愛のないものに神はわかりません。
なぜなら、神は愛だからです。
愛が圧倒的に欠けている僕に、パウロは同じく言われた。
「一切のことを、愛をもってしなさい。」
自分の力ではこれは絶対にできない。自分の力で愛そう。愛に生きようとすると結局は、すぐに愛の足りない自分を知る。欠けだらけの自分につまずく。だけど、愛がないならうるさいシンバルやドラと同じである。愛がなければなのだ。
なら、愛のない僕はどうしたらいいのか?
愛である神様から愛する力を与えてもらおう。
愛である神様からスタートしよう。
自分がこんなにクソ野郎なのに、愛されている。そのことをまず、喜び、感謝しよう。一切のことを愛をもってしてくださったイエス様がいるじゃないか。イエス様を忘れて自分が全ての真ん中にやってくるから、いつもイライラして、虚しいのだ。もどかしいのだ。イエス様は何のために愛をもって命をかけてくれたのか。十字架に釘打たれたのか。よみがえられたのか。
全て、こんなどうしようもない僕のためだ。
愛している。
その愛を一心にイエス様は届けてくれた。
Prayer
天のお父さん
愛をもって全てをする事はなんて難しいのでしょうか。すぐに自我が優先されます。自分が可愛いからこそなのか。人を愛せず、愛の欠如に驚きます。自分は愛がないことを認められますように。どうか、あなたの愛を注いでください、あなたの愛を教えてください。あなたのように愛をもって生きられますように。イエス様のお名前によってお祈りします、アーメン。
Topic:配置、DCAT、教会
Scripture(聖書)
神様は、私たちの体をそのように造られたのではありません。体を形成するために多くの部分を造り、配置されました。
(第一コリント12:18 リビングバイブル)
Observation(観察)
体の各器官にはそれぞれの異なった役割がある。
同じでなくて良い。
むしろ違っていて良い。
そして、それぞれの配置にも絶妙な神様の采配があるのだ。
それは決して偶然やたまたまの産物ではない。
意図的なポジショニングなのだ。
Application(適用)
教会をからだにたとえるパウロ独特の表現。
今日、特に心に留まった言葉がある。
「配置」という言葉である。
野球やサッカー等、チームスポーツにおいて重要なことの1つはそれぞれの配置。
そして、その配置を決定するのは監督の役割。
それぞれが持っている能力を最大限に引き出し、最も効果的なパフォーマンスをし、チームとして勝利を掴みに行くのだ。
NHYは「チームでする教会づくり」を掲げて今日まで来た。
Doing church as a team(通称:DCAT)である。
それぞれの賜物を生かして仕え合う。
しかし、配置が合っていなければ、効果は半減である。
僕は牧師として、改めて主に知恵とリーダーシップを祈り求め、牧会チーム、カウンシルチームとも祈り合い、話し合い、より良い配置でDCATを進めていきたい。
1人でも多くの失われた魂を獲得するために。
Prayer(祈り)
主よ。
教会を感謝します。
すべての人に器官としての大切な役割と使命が与えられていることを感謝します。
あなたは人のからだを絶妙な配置でお造りになりました。
主よ、牧師としてそれぞれの賜物や情熱を見極め、最高の配置でDCATを進めていくことができるように導いてください。
そうして、より強固なチームとして失われた魂にリーチしていくことができますように。
教会の主であるイエス様の名前でお祈りします。アーメン
私がこう言うのは、あなた方自身の益のためです。あなた方を束縛しようとしているのではありません。むしろ、あなたがたが品位ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるようになるためです。
1コリント 7:35
Observation
パウロの結婚観の中で、独身の方が良かったり、でも情欲に燃えるよりは結婚した方がいいと述べられているけど、パウロが1番言いたかったことは、何より、「品位ある生活を送り、ひたすら主に奉仕できるようになるため」ってこと。結婚に限らず、全てにおいて、将来のための決断ってとっても悩むし、勇気がいる決断であると思う。でも、何より、品位ある生活を送り、ひたすら主に奉仕できるようになるために進んでいきたいと私自身思わされた。
Application
目の前にはいろいろな選択肢が広がっている。ひたすら主に奉仕できる環境を自分自身も選んでいこう。
私は、肉においても弱いし、周りの環境や誘惑にも弱い。すぐに決断したことを曲げてしまい、やり遂げられないこともある。だからこそ、自分自身がひたすら主に奉仕できるようになるために、一つ一つ選んでいこう。と思った。神様は私たちに自由を与えてくださって、私たちの選択を祝福したいと願っている優しいお父さんなんだ。神様を1番愛する故に、選択していきたいって思わされた。
Prayer
お父さん、今日も私と時間を過ごしてくれてありがとう。私の人生をあなたが愛し、用いたいって、祝福したいって思ってくれていることありがとう。私もあなたのために生きる為に、一つ一つ選択していけるように、知恵を持って、選択できるように助けてください。経済面においても、学面においても、また結婚のことも、全てあなたの栄光のために一つ一つ選んでいくことができるように助けてください。一緒に進んでください。
大好きです。愛します。 In Jesus name…
Topic:計画
Scripture(聖書)
しかし神は、ユダヤ人でも外国人でも、救いへと招かれた人々の目を開いて、キリストこそ彼らを救う偉大な神の力であることを悟らせてくださいました。実に、キリストご自身こそ、人々を救うための、神の知恵に満ちたご計画の中心なのです。
(第一コリント1:24 リビングバイブル)
ユダヤ人であってもギリシア人であっても、召された神の力、神の知恵であるキリストです。
(第一コリント1:24 新改訳2017)
Observation(観察)
1章で何度も、何度も用いられている言葉が「計画」。
その計画の中心は「キリストご自身」であった。
Application(適用)
何か事を成そうとする時に、最も大事なことの1つは「計画」である。
しばしば企業ではPDCAというフレームワークが用いられる。
「Plan(計画)」
「Do(実行)」
「Check(評価)」
「Action(改善)」
の頭文字である。
このフレームワークの一番最初に来るのはやはり「Plan(計画)」である。
第一コリント1章(リビングバイブル訳)には何度も「計画」という言葉が用いられている。
神の全人類に対する救済計画の中心は「キリストご自身」。
「・・・実に、キリストご自身こそ、人々を救うための、神の知恵に満ちたご計画の中心なのです。」
教会は福音宣教のために様々なプロジェクトを進めていく。
そこにおいても重要なことは「計画」である。
しかし、常にその計画の中心が「キリスト」であることを覚えておかなければならない。
その計画の中心が「キリスト」から逸れた途端に、それはキリストの名を利用した牧師や1リーダーによる人間的計画に成り下がってしまう。
ここ数年、コロナで毎年行ってきたPastors Retreatを開催できずにいるが、例年このRetreatでPastors Teamと翌年の計画等を話し合う。今年は久しぶりにこのRetreatを再開したい。
そして、改めて皆で「キリスト」を中心として計画を立案していきたい。
Prayer(祈り)
主よ。
爽やかな秋晴れの火曜日です。
神の救いの計画の中心は「キリスト」です。
教会の計画の中心も、はやり「キリスト」です。
すぐに逸れてしまう私たちです。
どうか、常にキリスト中心に歩むことができますように。
救い主イエス様の名前でお祈りします。アーメン