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「5度も6度も何度だって」

Scripture 「しかし、預言者は怒って言いました。「あなたは三度だけでなく、五度も六度も打つべきだった。そうすれば、シリヤを徹底的に滅ぼせたのに。これでは、三度しか勝つことはできない。」」 列王記Ⅱ 13:19 リビングバイブル訳 Observation ヨアシュ王は功績を残している。 しかし、偶像から離れず主の目に悪を行い続けていた。 そんな彼に対して死を目前にしたエリシャは、それでも主への忠実を尽くし、預言者としての働きをなされた。 エリシャはイスラエルの勝利の矢をヨアシュに射させる。 すると次に、エリシャは彼に矢を取って地面を打ちなさいと言われる。 さあ、ヨアシュは何回打ったのか? Application 3回 ヨアシュは3回地面を叩いた。 それを見たエリシャは大激怒する。なぜ3回しか打たないのか。5回でも6回でも叩くべきだった。そうしたら徹底的に敵国アラムを滅ぼせたのにと嘆くのだった。 矢で地面を叩けと言われて何度もやろうと思う人がいるだろうか?僕も何でこんな事と思ってしまい、1回渋々やるかなというところだろう。しかし、ヨアシュがここで向き合っていた状況はそうは言っていられない状況だった。本当ならもっと切羽詰まっていて、何とか勝利を収めたい。その思いでエリシャの元に行ったのではないだろうか? けれど彼は3回だけ叩いた。 まるで叩けと言われたから仕方なく叩いたかのように、とりあえず3回叩いた。 彼は何をしているのか意味も分かっていなかったかもしれない。 だけど、ヨアシュには何がなんでもという姿があまり見られなかった。叩けば勝利が約束されるのなら、何度だって叩く。なんだかエリシャに預言を聞きに行って、形的にはすごい信仰深く、知恵深いかもしれない。だけど、ヨアシュはがむしゃらさ、必死さに欠けていたように思う。 どこかで僕自身も綺麗におさまろうとしている心がある。 がむしゃらに神様を信じて、泥臭く、カッコ悪くても何度だって神様に祈り求め、約束を信じるものとなっていきたい。 疑って諦めてしまい、終わりにしたくない。 これくらいでいいやと終わらせないでいよう。 どこまでも神様を信じて叩き続けたい。 Prayer 愛する天のお父さん 諦めてしまう僕の信仰の薄さ弱さを知ってくださっているあなたに、もう一度祈ります。もう一度求めます。ヨアシュのように何回かやって、それでいいやと思ってしまうのではなく、本当に求めていることに対してもっと必死にがむしゃらになりたいです。きれいにおさめようとするにではなく、あなたを信じてひたすらに叩き求め続けるものとさせてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン