Scripture
10私たちをこのように造り変え、キリスト・イエスによる新しい生活に入れてくださったのは神です。この新しい生活は、神がずっと以前から計画してくださったものであり、私たちが互いに助け合って過ごすためでした。
エペソ人への手紙2:10 リビングバイブル訳
Observation
イエス様を信じるなら救われる。
信じて救われたものは新しく造り変えられる。
2コリント5:17
ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
そして、「キリスト・イエスによる新しい生活」が始まる。
Application
「生活」を辞書で調べると一番最初に出てくるのは、「生きていること。」
イエス様に出会うなら生活、生き方が変わる。
それまでとは全く違う生き方になる。
世の中は「何をするのか/Doing」がとても重要視される。
何をしているのか?何を失敗したのか?何ができないのか?
僕らは互いに相手の価値をDoingによって決めてしまう傾向にある。
できないやつはダメ。
できるやつは凄い。
どの学校を受験するのか?
そしてどんな仕事をしているのか?
教会で何をしているのか?
それらはどれも大切なことの一つだろう。
だけど、実はそれって苦しい。
なぜなら、できなくなったときに自分の価値を何一つ見出せなくなるからだ。
介護の仕事をさせてもらっている時、驚愕だった。
人は歳を重ねると経験豊富になり知恵深くなるが、一方で出来ないことがこんなにも増えるのかとショックだった。立っているのが困難。歩くのが困難。食べるのが困難。入浴も困難。しかし、紛れもなく目の前にいる人はそれでも主の目に高価で尊い方なのだ。できないことやできることばかりで評価していると、苦しい。でもイエス様が与えてくださる神の視点はそうじゃない。
僕らの生き方を変えてくださる。
どのように生きるのか?
人生を通してイエス様のために生きる。新しい人生が始まる。
イエス様が与えてくださる新しい人生、どう生きるのか。
できないことがあっても、それでもイエス様を証できる。賜物や能力に優れていなくたっていい。それでもイエス様のために生きる人生がある。他の人と比べて自分はあれもこれもないかもしれない。だけど、それでもイエス様が共にいてくれる人生がある。
何をすべきか?に囚われ過ぎてしまうが、そうではなくイエス様にあって与えられた新しい人生をどう生きていくのか?を大切にしよう。自分に与えられた人生は、光の子どもとして生きること。いつも喜び、感謝し、祈り生きること。そのように生きれていないことが殆どで、本当に情けないが、それでも何度だって向きを変えてイエス様が与えてくださった人生の歩みに立ち返っていこう。イエス様のために生きる人生にハレルヤ!
Prayer
愛する天のお父さん
あなたは光の子どもとして生きることを語ってくださいました。それはどんな職業だろうが、何をしてようが変わりません。時に、何をしているのか?に囚われ過ぎてしまう弱いものです。でも、イエス様が命をかけて与えてくださった新しい人生です。命です。あなたのために使いたい。誰かのために使いたい。どうか、そのように生きられますように。イエス様の生き様をいつも追いかけるものでいさせてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。