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「永遠のチャレンジャー」

Scripture 牛がいなければ飼葉桶はきれいだが、豊かな収穫は牛の力による。 箴言14:4 新改訳聖書2017 Observation 牛の世話に欠かせないのは食事である。 飼い葉桶に食事を入れると牛は豪快に食べる。 食べ終わった後はもちろん・・・汚れている。 いつも彼らの生活を清潔に保つのは並大抵のことではない。 しかし、それを面倒と思えば忽ち飼い葉桶だけでなく牛小屋が超汚くなる。 昔は、貴族の牛車を引っ張るのに牛が用いられた。 つまり牛が動かなければ何も始まらないのだ。確かに牛が飼い葉桶で食事をすれば汚くなるだろう。しかし、彼らがいなければ始まらない働きがあり収穫があると聖書は言うのだ。 Application 飼い葉桶を綺麗に保っておければ、それにこしたことはないのかもしれない。 けれど、牛が食事をし、牛が生きてこそ、その先に働きがあると聖書は言う。 つまり、綺麗なままでは何も起こらないと言うことだ。 牛がいて、そこが汚れるからこそである。 そしてまた、何かアクションを起こさなければ何も起こらないということだ。夜中にラーメンが食べたくなっても、食べに行かなくては食べられない。好きな人がいて告白しなければ思いは秘めたまま。福音を知りたくても誰も伝えてくれなければ知らないまま。牛の存在はとっても大切なのである。 牛になりたい。 汚れ役でも何でも謙遜になって、「はい、従います」と仕えるものになりたい。 神様のすでに約束してくださっている収穫のために牛になりたい。 飼い葉桶を綺麗なままにしておかず、失敗しようが何だろうが主のために果敢に挑戦し続ける挑戦者でいよう。結果を気にしたら何もできない。失敗を恐れたら進めない。先はわからなずとも僕と共に歩いてくださる方がいる。それがイエス様だ。主とともに果敢にチャレンジしていく挑戦者でい続けたい。 高慢になるとすぐに僕は受け身になり、怠惰なものとなる。 悔い改めて、もう一度、挑戦者になっていこう。 Prayer 愛する天のお父さん あなたがきょう、チャレンジを与えてくださって感謝します。高慢なこの心を砕いてください。牧師先生と言われて天狗になっている心を今日、悔い改めます。30代半ばになって自分より若い世代が出てきています。自分が年上と高慢になって偉そうな心を悔い改めます。主のために挑戦者となり、福音宣教のために果敢にチャレンジするものとなっていけますように。用いてください。遣わしてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

「主の恵みは絶えることがない」

Topic:恵み   Scripture(聖書) 主は、私たちがどれほど弱い存在か、知っていてくださいます。 その恵みは絶えることがありません。 (詩篇136:23 リビングバイブル)     Observation(観察) 何度も何度も、繰り返し繰り返し「その恵みは絶えることがないのです」と謳われている。   新改訳2017では「主の恵みはとこしえまで」。 新共同訳では「そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」。     Application(適用) 私たちは恵みに疎い。 名前に「恵」の漢字がつけられている女性は日本に沢山いる。 「驚くばかりの恵み」(Amazing Grace)はクリスチャンでなくても知っている有名な賛美歌である。   しかし、恵みに鈍感なのである。 それゆえ、再三再四みことばは「主の恵みが絶えることがない」ことを語りかけてくる。   自分なんか恵みを受けるに値しないと低く自分の価値を見積もってしまう。 真面目な国民性の日本人は特にそうなのかもしれない。 自分を責めて、自己卑下してしまう。   しかし、神様は私たちの弱さなんかとうに知っている。 そもそも、神様の前に隠し通せるものなどない。 欠けも、醜さも、愚かさも、弱さも知っている。   それでもなお、恵みを注いでくださる、というのだ。   「はい、もうおしまい」はない。 神の恵みに限界はない。No limitだ。   ①今日も注がれている恵みに感謝しよう。   ②恵み深い主を賛美しよう。   ③絶えない恵みを伝えていこう。     Prayer(祈り) 主よ。 爽やかな火曜日を感謝します。 あたたかな太陽の日差しを感じます。 この太陽の日差しにあなたの恵みを覚えます。 そして、みことばを通してもあなたの恵みの大きさに驚かされます。 私たちは恵みに疎いものです。鈍感です。 日々変わることなく、絶えることなく注がれている恵みに気づき、恵みに感謝し、賛美し、伝えていく者とならせてください。 この主の恵みに今日も目が開かれ、気づく人が起こされますように。 恵みの主イエス様の名前でお祈りします。アーメン      

「喜びの賛美」

Topic:賛美、喜び   Scripture(聖書) 5竪琴の音色に合わせて、賛美の歌を歌いましょう。 6角笛とラッパの音を高らかに響かせなさい。 主である王の前で、喜びに満ちたシンフォニーをかなでなさい。 7広大な海と、その中のすべてのものは、鳴りとどろいて賛美しなさい。 地と、そこに住むものはみな、「神様に栄光があるように」と叫びなさい。 8-9海の波は楽しげに手を打ち鳴らし、山々は、喜びの歌を合唱しなさい。 正義を貫いて世界をさばくために、主はおいでになるのです。 (詩篇98:5-9 リビングバイブル)     Observation(観察) 賛美への招きの詩篇。   ①楽器に合わせての賛美 ②楽器を響かせる賛美 ③自然界も賛美 ④楽しく手を打ち鳴らす賛美 ⑤喜びの賛美     Application(適用) 昨日は牧師たち、さらにキリスト教出版社の敏腕編集者、さらに神学生を交えての説教論トークに花が咲いた。 それぞれの理想がある、育ってきた教会や学んできた神学的背景の影響もある。 共通して、礼拝説教の重要性についての意識の高さである。   しかし、礼拝は説教だけではない。賛美も重要だ。 賛美には力があると信じる。 先日、天に召された小坂忠師も賛美の力を信じて、リバイバルを求めるムーブメントを牽引してきた。それは、決して御言葉や説教の軽視ではない。 次回は昨日のメンバーで賛美についてもトークをしてみたい。   主は私たちを賛美へと招いている。 賛美はダイナミックだ。 賛美は喜びだ。 コロナがどうであろうと関係ない。 私たちは賛美する。 賛美へと招かれているのだから。   救われた喜び、愛されている喜び、赦されている喜び、選ばれている喜び、召されている喜び・・・手を打ち鳴らし、喜びの歌を歌いたいのだ。 明日の礼拝においても喜び爆発の賛美をささげたい。     Prayer(祈り) 主よ。 今週も土曜日まで守られたことを感謝します。 あなたが私たちを賛美へと招いてくださって感謝します。 縮こまって賛美することは御免です。 思いっきり手を打ち鳴らし、喜びの歌を賛美したいのです。 明日の礼拝においても喜びの賛美が響きますように。 日々の営みがすべて主への賛美となりますように。 わたしはあなたを賛美します。 救い主イエス様の名前でお祈りします。アーメン