Topic:イエス・キリスト(罪)
Scripture(聖書)
私の子どもたちよ。私がこう言うのも、あなたがたにいつも罪から離れていてほしいからです。しかし、もし罪を犯したとしても、父なる神の前で弁護してくださるイエス・キリストがおられます。キリストはすべての点で正しく、神のお心に完全にかなった方です。
(第一ヨハネ2:1 リビングバイブル)
Observation(観察)
ヨハネの願いは「いつも罪から離れていること」。
しかし、誰もがすぐに罪を犯してしまう。
もはや、神の前に断罪されるのを待つだけなのか・・・。
否。ヨハネは救済措置があることを述べる。
イエス・キリストは・・・
①父なる神の前で私たちを弁護してくださるお方。
②すべての点で正しいお方。
③神の心に完全にかなったお方。
Application(適用)
クリスチャンになったからと言って、自動的に罪を犯さなくなるわけではない。
14歳の時、初めて福音に触れ、神の愛を知り、感動し、イエス様を受け入れた。
あの時の罪赦された喜び、開放感は鮮明に覚えている。
しかし、その後、僕を苦しめていったことがある。
それは、己の罪深さ。
抗っても、抗っても、抗いきれない罪の力に何度も打ちのめされたのだ。
そして、己の罪深さと不信仰を嘆くことしか出来ない。
だんだんと十字架が遠のき、萎み、霞んでいくような感覚。
しかし、命をかけてまで私たちを愛して、救おうとされるイエス様がそのまま私たちを放っておくわけがないのだ。
ヨハネは・・・
「しかし、もし罪を犯したとしても、父なる神の前で弁護してくださるイエス・キリストがおられます。」
と力強く語る。
最も心強い最強弁護士がついているというのだ。
僕が5-6歳の頃、小学校に上がる前後の2年くらいだろうか。
家族で高円寺に住む祖母の家に同居していたことがある。
僕は3人兄弟の長男で生意気盛りだったのだと思うが、よく両親に叱られた。
理由は覚えていないが、母に往復ビンタを喰らったことがある。
往復ビンタである。よほどのことをしでかしたのだろう。
父に叱られた時は大抵母が弁護してくれていた。
しかし、最後の砦である母に叱られたら、もはや弁護してくれる人は一人もいない。
その時である。
年老いた祖母が僕を弁護してくれたのだ。
その時の会話の1つ1つは覚えていない。
けれども、祖母が僕を弁護してくれてことはハッキリと覚えている。
そして、僕は祖母の弁護に何か心にあたたかいものを感じていた。
本来、弁護されるようなことは何一つなかったと思う。
けれども、孫を思い、弁護してくれたのだ。
イエス様もそうなのだと思う。
私たちには弁護すべきところなど皆無だ。
にもかかわらず、体を張って弁護してくださるのだ。愛ゆえに。
祖母ロイスから信仰のDNAを受け継いだテモテではないが、僕の信仰も祖父母から始まっている。
「天皇が神である」ということがまかり通り、強制させられた時代に信仰を守り貫いたのだ。
今日は改めて祖父母の信仰に感謝したい。
そして、天国の祖父母に「いてくれてありがとう」を送りたい。
①弁護してくださる方がいることを感謝
②祖父母の信仰に感謝
③最強弁護士を紹介する
Prayer(祈り)
主よ。
何度も、何度も失敗し、罪を犯してしまう者です。
それでも、イエス様が私の弁護をしてくださる。
身にあまる光栄です。
あなたの愛と恵みに今日も圧倒されます。
主よ、感謝します。
今日のみことばから祖母のことを思い出しました。
心があたたかくなる思い出です。
祖母の姿にイエス様の愛を見ました。
願わくは僕の姿からもイエス様の愛があらわされますように。
救い主イエス様の名前でお祈りします。アーメン