Scripture
‘御怒りにふれて病気となり、 罪のために健康を害したのです。 罪は洪水のように頭上を越えました。 もう、自分では負いきれない重荷です。 ‘
詩篇 38:3 リビングバイブル訳
Observation
ダビデの詩篇と書かれているが、ダビデが通っていたこの時の心境はいかほどだろうか。
もう苦しくて黙るしかない。
何も言えない。
何を言ってもかえって悪くなる一方、そんな状況だ。
ダビデは「罪のために健康を害した。もう自分では負いきれない重荷」と表現する。
Application
僕には今、何があるだろうか?
自分には全く関係ないように思えない言葉だった。「罪は洪水のように頭上を越え、もう自分では負いきれない重荷」となっている。それは決して人ごとではない。僕自身が罪のために今、心が、健康が害されている。何の罪か?
プライド
それも思い通りにならないことへの不満と言い訳。自分が全てをコントロールしていたいからこそ、思い通りになっていないと何かと理由をつけて言い訳をしたり他人のせい、何かのせいにしている。自分と周りしか見ていない。
僕の目は、ちっとも神様に向いていなかった。
この世の中は思い通りにいかないことばかりだ。
それを自分の力で少しでも思い通りしたい欲が強い。このプライドという罪をずっとひた隠しにしているのが僕、勾坂太一だ。自分は謙遜なように見せておきながら、心の中では「俺が頑張っている」と思っている。醜い心だ。醜いプライドだ。でもこれに蓋をして隠すから、ずっと取り扱われないままだった。でももう神様が待ったをかけられている。一番取り扱われるべきプライドを今、えぐられるように取り扱われている。
だから、まず「手放す」ことを神様に向き合わされている。
年齢とともに起こる「健康の変化」も経験させられている。まだ若いが、もっと若い時と比べるとそうではない。でもそれをずっと無視してる自分がいる。
そして「委ねる」ことを一番チャレンジされている。
すべてプライドがずっと邪魔してきたこと。僕のこのチンケなプライドがこれほど大きな壁になっている。神様はそんな壁の向こうからきっと、ずっとノックしてくれていたんだな。
ダビデは38篇の最後こう締めくくっている。
「主よ 私を見捨てないでください。わが神よ 私から遠く離れないでください。急いで私を助けてください。主よ 私の救いよ。」(詩篇38:21-22 新改訳2017)
神様に「助けて」と言えない僕の心が一番プライドで凝り固まっていると刺さった。
Prayer
天のお父さん
プライドでいっぱいな僕の心です。このまま、あなたの前に差し出します。酷いものだと思います。ちゃんとこのプライドと向き合うことができますように。逃げることなく、何かのせいにすることなく、ちゃんとイエス様に差し出します。この心、変えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。