Topic:怒り、放蕩息子
Scripture(聖書)
すると兄は怒って、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て彼をなだめた。
(ルカ15:28 新改訳2017)
Observation(観察)
有名な「放蕩息子」のたとえ話。
放蕩していた弟息子が帰ってきたことを父は手放しで喜び、大歓迎した。
一方、兄は素直に息子の帰りを喜ぶことができなかった。
父の対応に、これまで見せたことのないような怒りを露わにした。
Application(適用)
もし、この時の兄の立場に置かれたなら、どのような態度を取るだろうか?
やはりこの兄息子と同じように怒りの感情が先立ってしまうのかもしれない。
父に態度を否定し、弟の無事を喜ぶこともせず、自らを義とする怒り。
私たちの怒りは大抵、この兄と同じで自らを義とするがゆえの怒り。義憤である。
しかし、本当のところ義は自分にはない。
まして父の弟を歓迎する態度を否定する資格などない。
それは結局のところ妬みが根底に横たわっているのだ。
たまたまこの時、その感情が露呈したわけで、もしかしたら兄の心に奥底にはずっと父に対する不満や弟に対する妬み、そして怒りを抱えていたのかもしれない。
怒りや妬みは多くの場合、関係を破壊する。
心の奥底にしまいこんでもいつか何かの拍子で爆発する。
放っておいては危険なのである。
そういう意味では、兄はここでようやく怒りの感情を父に表すことができて良かったのかもしれない。
ゆっくり深呼吸し、神様に取り扱って頂く必要がある。
Prayer(祈り)
主よ。
曇り空の日曜朝を迎えました。
有名な放蕩息子のシーンから語ってくださり感謝します。
怒りの感情は多くの場合、良いものを生み出しません。
その根底にあるのは不満であったり、妬みであったり。
主よ、私の心を取り扱ってください。
今朝、聖霊なる主が私の心をきよめ、満たしてくださって、御霊の実を結ぶことができますように。
イエス様の名前でお祈りします。アーメン