S
涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる。
種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は
束ねた穂を背負い 喜びの歌をうたいながら帰ってくる。
詩編 126:5-6
O
BC538、新たな覇者となったペルシヤ帝国の王であるクロス王はある命を出した。
それは前時代の権力者であったバビロンが自分たちの地へ捕囚の民として連れて行った、
ユダヤ民族の解放である。
詩篇126篇はバビロンの地から故郷イスラエルへ
帰還したユダヤ民族の中にいた詩人が残したものであるだろう。
彼らにとって故郷へ帰ることができたことは、夢のような出来事だ。
しかし帰った先で見たものは、以前の故郷とは違う姿。
神殿や城壁は崩れ落ちていて、また土地は荒れ果てている。
その姿に涙したものは多かったことだろう。
しかしこの詩人はその涙の中で未来へ向かって前を向く。
今こそ種を蒔く時。そして時が来たならば、必ず喜びの歌が響き渡り、
その歌と共に借り入れの時を迎える、と。
A
神様が導かれる場所というのは、いつも豊かな実が一面に満ちたような場所ではない。
そこには崩された神殿、荒れ果てた荒野のように、
痛み、傷、悲しみを目の当たりにする場所かもしれない。
しかしその場所は同時に、確かな将来と希望に溢れる場所である。
置かれた状況から、ただただ悲観の思いでいっぱいになり
諦めてしまえば、その場所はそのままである。
けれどもし、涙を流すことはあるけれど、その場所へと導かれた神様に信頼し、
その場所で種を蒔くことを選ぶのなら、いつの日か、涙を流した同じ場所で、
喜びの歌が響き渡る日、その歌と共に収穫する日を僕は迎えるだろう。
自分の目に見えるものが悲しみ、涙をもたらすような時、
また実りがないように思える時、2つのことを大切にしよう。
第一に、今立っている場所が、神様の導きによるものかを確認する。
もしそうであるなら、第二に、今置かれている場所で種を蒔く。
忙しかった8月9月が終わったが、10月もなかなか忙しくなりそうだ。
けれど必ずしも実りがあるというわけではない。
そんな中、僕にとっての今の季節は、刈り取れる実がないかを探すよりも、
しっかりと種を蒔くことが必要だと感じている。
忙しい中でも優先順位をつけることを大切にし、種を蒔いていこう。
時に涙を流すことがあっても、神様に信頼し、
いつの日か、喜びの歌と共に刈り取りの季節を
涙を流した同じ場所で迎えるという将来と希望を心に抱いていこう。
P
愛する天のお父さん、あなたの偉大な御名を賛美します。
今日この詩篇126篇を歌った詩人から、痛み、悲しみを抱える場所にいる時にも、
あなたにあって希望を持ち続けることを励まされました。感謝します。
主よどうか僕がどのような場所に置かれる時も、あなたが与えてくれる
将来と希望を見ていくことができますように。
そして喜びの歌と共に収穫を迎える日が来ることを信じながら、
今与えられている時と場所で、種を蒔いていくことができるように助けてください。
イエス様の御名によって祈ります。アーメン