S
ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄に置かれた。しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
創世記 39:20-21
O
創世記39章には兄弟たちの策略によって、エジプトに奴隷として連れてこられたヨセフの物語が続いている。その最初、ファラオの宮廷の役人、ポティファルに買い取られたヨセフは、多くの成功を収めた。なぜか?主が共におられたからだと書かれている。しかしそんな彼にポティファルの妻が言い寄った。ヨセフが自分の思い通りにならないとみて、ポティファルの妻はヨセフを陥れた。その結果ヨセフは投獄されることとなった。
しかしここでも神様はヨセフと共におられ、恵みを注がれ、ヨセフは監獄でさまざまなことを任されるようになった。後にヨセフはファラオの夢を解き明かすために、この監獄から連れ出されることとなる。エジプトに奴隷として売られたこと、無実の罪で監獄に置かれたことさえも益とされるのだ。しかし、この時のヨセフは、それを知る由もなかっただろう。
A
僕達は何によって今日という日を歩み方を決めるだろう?
僕達は何によって将来への希望を持つだろう?
僕達が置かれる場所や、僕達に起こる出来事は、時に不条理に、また不公平に感じられる。人生は時に簡単ではなくて、がっかりすることもある。置かれた場所は願うような場所ではないかもしれない。そんな中、将来に希望が持てなくて、今日という日に意味を感じられなくて、上の空で生きてしまうこともある。
それでも忘れてはいけない。神様は僕と共にいる。
どこに置かれても、周りで何が起ころうと、
全てを共に働かせ、万事を益とする方は僕のそばにいる。
パウロはこう言っている。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」
ローマ 8:28
全ては共に働く。万事は益とされる。だから神様に信頼し、今日という日を諦めることなく、大切に生きることを選ぼう。
いつの日か振り返る時、僕は気づく。
今日という日がなくてはならない日であったことを
P
愛する神様、あなたの御名を賛美します。ヨセフの人生から大切なことを教えてくださり感謝します。時に僕はがっかりすることもあり、気力を失いそうなこともあります。けれど僕の考え、思いを超えて、あなたは働いています。あなたは万事は益とされる。なによりあなたは僕がどこにいても、何が起こっている時も、僕と共にいてくれます。だから安心して、今日という日を精一杯、またあなたからの平安と喜びをもって生きることができますように。感謝して、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン