Topic: 愛 赦し 主の心
御言葉:
それでもイスラエルの民は、『神は不公平だ』と言い張る。ああ、イスラエルよ。公平でないのは、わたしでなくあなたがただ。
エゼキエル書 18:29
観察:
この時代のイスラエルには『父親の罪で子が罰せられる』ということわざがあったようだ。神様はそんな彼らに、預言者エゼキエルを通してこう言われる。
「わたしは生きている。もう二度と、こんなことわざをイスラエルで口に上らせない。 4わたしは、父であろうと子であろうと、すべての人を同じようにさばく。それも、自分の犯した罪のために罰せられて死ぬのだ。
エゼキエル書 18:3-4
人は自分の犯した罪のために罰せられて死ぬ。しかしその後すぐ、神様はこう約束される。
だが悪者でも、すべての罪から離れ、わたしのおきてを守って正しく誠実に生きるなら、必ず生きて、死ぬことはない。
エゼキエル書 18:29
罪あるものが悔い改めて神様に従って生きる時、必ず生きて、死ぬことはないというのだ。それを聞いた人々の中には、「神は不公平だ」と文句を言うものがいたようだ。「自分はこんなに良いことをしてがんばって生きてきたのに、あんな悪いことうをした奴を、あなたは自分と同じように救うのですか?!」しかし神様よりも自分の価値観や行いを中心に考えている時点で、その人も罪人であるのだ。神様は決して不公平な方ではない。人の目に罪が明らかな者も、一見良い行いに頑張っているけれど拭えない罪の性質を持っている者も、同じように愛し、救ってくださる。そしてそれはイエス様の十字架によって。不公平な扱いを受けてもほふり場に引いていかれる小羊のように黙っていのちをささげてくださったイエス様によって。
適用:
人には自分を中心に考えてしまう罪がある。一見正しく思える主張や不平不満の中、実は大切なことを見落としてしまう罠がある。今日自分は神様の心をどれほど感じることができているだろうか?そして神様が愛するように愛し、憐むように憐み、赦すように赦しているだろうか?神様が喜ぶことを同じように喜び、悲しむことを同じように悲しむ者であるだろうか?そうでないことが多い。そして「神様、あなたは不公平な方です」と思ってしまうことがある。また、自分を中心に言葉を放ち、行動してしまうことがある。神様は、人の目に不公平とも思えるほどの圧倒的な愛と憐みを持って僕に寄り添ってくださる。自分の努力、良い行いではぬぐい切れない罪からきよめてくださる。今日その恵みをこのエゼキエル書18章から改めて感じ、励まされ、慰められながら、僕も神様の心を我が心とすることが、少しでもできるようにと願う。
祈り:
天のお父さん、あなたの御名を賛美します!人の目に不公平だと思えるほどの圧倒的な愛と赦しの恵みが、今日も変わらずに注がれていることを感謝します。あなたの心に程遠いことを考え、不平不満を言い、行動してしまうことを赦してください。あなたの心を我が心とすることができるように教え、導いてください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン