Topic 試練、苦しみ
Scripture
10すべてのものをお造りになった神が、ご自分を信じる者たちを栄光ある天まで引き上げるためにイエスを苦しみに会わせられたのは、まことに正しいことでした。イエスはこの苦しみをくぐり抜けて、人々を救いに導くにふさわしい方となられたのです。
ヘブル人への手紙2:10 リビングバイブル訳
18自ら試練と非常な苦しみを体験された主イエスだからこそ、試練にあえいでいる私たちを助けることがおできになるのです。
ヘブル人への手紙2:18 リビングバイブル訳
Observation
イエス様は全ての人を死から救い出すために、試練を通られた。苦しみをくぐり抜けてくださった。
Application
苦しいことなんてなければいい。
そう思う。
だけど不思議なことに苦しいことや試練は人生の中で、必ずある。必ず向き合わないといけない。人によって試練の重たさは個人差があるのかもしれない。だけど、その苦しみや試練を通っている最中は本人にとっては想像を絶する苦悶の時間である。
早く、早くこの時がさってほしいと願う。
なぜ、神様は苦しみを与えられたのか?
試練があるのか?
いや、苦しくなければ、神様に助けを求めないな。
自分で解決できてしまうことなら、神様を僕らは必要としない。そう思うと、苦しみに意味があるのでは?と思う。それでもやっぱり、苦しいのは嫌なのが本音だが。
最後の一節に心が留まる。
「自ら試練と非常な苦しみを体験された主イエスだからこそ、試練にあえいでいる私たちを助けることがおできになるのです。」
誰も経験したことのない苦しみを通られたイエス様だからこそ、苦しんでいる僕たちを助けることができる。いや助けてくれる。理解してくれる。寄り添ってくれる。
イエス様はマタイ11章でこう言われた。
“すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。”
マタイの福音書 11章28節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
神様から任されたことがある。
だけど、イエス様の元に、僕らの苦しみをわかってくれるイエス様の元にいつも重荷をおろし、再び、新しい力を受け取って前進していこう。
Prayer
愛する天のお父さん
イエス様は想像を絶する苦しみを通られたのに、誰よりもその痛みを理解して欲しかっただろうに、それよりも僕たちの苦しみを理解するために命をかけてくださり、寄り添ってくれる方です。感謝します。
試練を通っても大丈夫。イエス様がいるから。
どうか僕も試練を通る人に寄り添えるものであれますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン