Topic:祈り、友、パウロ
Scripture(聖書)
どうか、私の祈りの友になってください。主イエス・キリストのゆえに、また、聖霊によってあなたがたが私を愛する愛のゆえに、私の働きのため、共に精一杯祈ってください。
(ローマ15:30 リビングバイブル)
兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、“霊”が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください、
(ローマ15:30 新共同訳)
兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によってお願いします。私のために、私とともに力を尽くして、神に祈ってください。
(ローマ15:30 新改訳2017)
Observation(観察)
パウロがローマ教会に書き送った手紙。
「信仰義認」といったキリスト教の重要な神学が語られてきた手紙。
その手紙の終盤でパウロは祈りを要請する。
[リビングバイブル]私の祈りの友になってください。
[新共同訳]わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください。
[新改訳2017]私のために、私とともに力を尽くして、神に祈ってください。
Application(適用)
2022年の大きな恵みの1つは牧師の友達が増えた、ということ。
牧師会や会議、カンファレンスで顔を合わせるだけの友達ではない。
何か一緒にミニストリーやプロジェクトを行う同労者でもない。
もちろん、そういう要素もあるのだけれど、もっと人格的交わりのある友達である。
一緒に笑い、泣き、悩み、食べ、遊び、祈る・・・そういう牧師の友達が今年はグッと増やされた。
それも、超教派的に色々な教団、グループの友達である。
本当に感謝だ。
牧師によって牧会のスタンスというか、教会メンバーとの距離感が違うような気がする。
僕はパウロがローマ教会に要請したように、1つは「祈りの友」であると思っている。
僕はこの「祈りの友」という表現が好きだ。
「友」という言葉を使う時、上下関係は消える。
もっと平行の関係だ。
僕はNHYに祈りの友が沢山与えられている。
そして、僕自身も愛するNHYオハナ1人1人の祈りの友となりたいと願っている。
今日は久しぶりにNHYのLeadersの集まりである。
みんなで祈り合おう。
祈りの友との交わりを楽しもう。
そして、来年はもっともっとLeadersとの交わりや祈りの頻度をあげたい。
というのもコロナの影響もあったが、今年Leadersの集まりを怠り過ぎた。
完全に自分の怠慢であり、悔い改めて、改善しなければならない。
足りない、本当に足りないだらけの主任牧師を支えてくれているLeaders、祈りの友となって支えてくれるLeadersに感謝しかない。
Prayer(祈り)
主よ。
今朝は愛するNHYのリーダー達と共にクリスマスを祝うために集まりました。
まず、こうして共にデボーションして、主の声に聞くことができる恵みを感謝します。
パウロは祈りの友となることをローマ教会に要請しました。
僕は今年多くの祈りの友が与えられました。
何よりNHYのオハナは僕の祈りの友です。
この素晴らしい教会を感謝します。
僕自身も誰かの祈りの友となり、祈りの友の輪を広げていくことができますように。
その祈りの輪が宣教の前進に繋がり、リバイバルに繋がることを期待します。
今日も欠けだらけの私を「友」と呼んでくださるイエス様の名前でお祈りします。アーメン