Skip to content Skip to footer

「祈りの手をあげる」

Scripture

夜、見張りの始まりに、立って大声で叫べ。
あなたの心を主の前に、水のように注ぎ出せ。
あなたの幼子たちのいのちのために、主に向かって両手を上げよ。
彼らは街頭のいたるところで、飢えのために衰えきっている。
(哀歌2:19 新改訳2017)

‘夜を徹して、神に叫びなさい。 主に向かって両手を上げ、 心を水のように注ぎ出しなさい。 飢えて道にしゃがみ込んでいる子どもたちのために、 ひたすら祈りなさい。 ‘
(哀歌 2:19 リビングバイブル訳)

Observation

エルサレムはついに陥落する。
世界的に美しく偉大な町が崩れ去ったのだ。それは神の民の罪に対する神様の裁きだった。神の民、であるはずのイスラエルの人々はとことんまで罪に溺れた。

このような絶望的な時に、エレミヤは嘆きの祈りをささげた。

今日はその1節

「あなたの幼子たちのいのちのために、主に向かって両手を上げよ。」(新改訳)
「飢えて道にしゃがみ込んでいる子どもたちのために、 ひたすら祈りなさい。」(リビングバイブル訳)

子供達のために祈れ。手をあげよ。

Application

子供とは幼い。
弱く、脆く、まだまだこれからの存在。時に僕ら大人が想像もしえないことをする。
子供や若者、彼はみんなそのように弱く、これからの可能性に満ちている存在である。未完の器であり、発展途上なのだ。でも、僕ら大人はすぐに自分の物差しで子供や若者を計ってしまう。彼らの目線に下がることができず。彼らを自分目線で叱ってしまい、怒ってしまい、裁いてしまう。

先日、礼拝会場を出て搬出をしていると隣のビルに入っているラーメン屋の店員が2人、外に立っていた。

一人はどうやら店長だ。
もう一人は若い店員だった。

一方的に、上から頭ごなしに注意しジャッジしている店長の姿がとても印象的だった。若者もなんとか自分の言い分を言おうとするが、何も受け付けてもらえず、ただ、「お前がダメだ」の一点張りだった。

僕はどうしているだろうか?

子供達に対して
若者に対して

どのように接しているだろうか。どうしても僕の目線で彼らを計ってしまう。でも、自分だってそういう時があった。今でも未完成である。その欠けを弱さを本当に僕は裁かれてきたのか?裁く人もいた。だけど、それ以上に励まし続けてくれて、祈り続けてくれた人がいっぱいいた。
励まし
祈り
がなければ今の僕はないだろう。とっくに心が折れていた。

今日エレミヤを通して神様は、「子供達、若者のために手をあげて祈れ」と語られる。
彼らが食べ物の飢えではなく、霊的な飢えとならないために。僕ができることは彼らのために祈ること。そして、彼らを励まし続けること。

Prayer

天のお父さん
僕はたくさん愛され、励まされ、赦されてきました。にも関わらず、高慢ゆえに次世代を自分の物差しで測ってしまう愚か者です。どうか、彼らのために祈り、彼らを愛し、励ますものとなれますように。なぜなら、僕ら大人のせいであのエルサレムがそうだったように、結果的には子供達が苦しんでいます。どうぞ、子供達が飢え渇くことがないようにしてください。イエスさまのお名前によってお祈りします。アーメン。

Leave a comment