Scripture
1たとえ私に、異言で話す賜物があり、また、天と地のあらゆることばを話すことができても、愛がないならただの騒音にすぎません。 2同様に、預言(託された神のことばを語る)の賜物があり、あらゆることに通じていても、また山を動かすほどの強い信仰を持っていても、愛がないなら、何の価値もないのです。 3そして、自分の財産を全部、貧しい人たちに分け与えても、また福音を宣べ伝えるために火あぶりの刑を受けても、愛がなければ、何の価値もありません。
1コリント人への手紙13:1ー3 リビングバイブル訳
Observation
愛の讃歌で有名な1コリント人への手紙13章
この章は、愛がなければで始まるのだ。
パウロは手紙の最後に、愛がなければと語り締め括った。
神様は僕たちの動機を見られる。
愛がなくてもできてしまい、心がなくてもできてしまう。
それが人の恐ろしい部分でもある。
何より、僕自身がそうした外側ばかりを着飾り、内側を蔑ろにしがちだからだ。
Application
イエス様はただ、鞭で打たれ、人々に罵倒され、十字架を担いでゴルゴタの丘まで歩いたのだろうか。十字架につけられ、五寸釘で打たれ、槍で脇腹を刺され、身代わりに死んでくださった。それはただ神様の命令だったからだろうか。命令だったから、でも素晴らしいが、なんだかそう思ってしまうとちょっと寂しい。なぜなら、イエス様が十字架で命をかけてくださったのがこんなに僕の心をとらえてやまないのは、そこに本物の愛があったからだ。
イエス様は愛するが故に、僕の罪の身代わりとなってくださった。
痛い思いをし、罵倒され、孤独を覚えながらも十字架につけられたのだ。
それは全部、僕たちを愛しているからだ。
イエス様が人々を癒すのも全てイエス様の憐れみの心からだ。
病に苦しんでいる人を見て、涙し、心を痛められる。それがイエス様だ。
僕の動機を問われる。
何をするにも僕の心は何故、それをするのだろうか?
愛か。それとも義務か。自分のプライドか。能力があるからするのだろうか。
心の内側にあるものを大切にしよう。そして、心に愛を持って一つ一つのことに向き合う人となりたい。
いかなる時も動機、そこに愛があるのか。
それを後回しにしないでおきたい。いつまでも残り、永遠に廃れることのない愛を土台に据えよう。
Prayer
愛する天のお父さん
愛であるあなたの御名を賛美します。どうか、僕にあなたの愛をください。いつも愛もなく、心もなく、ただタスクをこなすだけの自分がいます。どうか、そうではなく愛を持ってあなたを思い、人を思って行えますように。心を変えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。