Scripture
11主は語ります。「わたしは自分の羊を必ず捜し出す。 12羊飼いのように、わたしの群れを捜し回る。あの暗雲に包まれた日に散らされて行った所から、わたしの羊を捜し出し、救い出す。
エゼキエル書34:11−12 リビングバイブル訳
Observation
自分の羊をなんとも思わない羊飼いがいた。
羊たちは放っておかれて、ついには散り散りになってしまう。
神様はついに業を煮やす。
もう黙っていられない。もう放っておけない。
「わたしが捜し出す。見つけるまで捜し回る。」「そして、救い出す。」
Application
暗闇に包まれたところへ散らされてしまった羊たちを救い出すために、見つかるまで、捜しだすまで放っておかないと言われた神様がいる。
僕自身は弱く、至らず、キャパシティも狭く、自分のことで手一杯である。
誰かが気になっても何もできない自分が情けない。
放っておきたいわけじゅない。
何か自分にできることはないか、いつも考える。でも、自分のキャパシティのなさに驚く。
それに比べて、神様は決して見捨てない。決して放っておかない。
この神様に僕らは抱かれ、捉えられている。
どんなに散らされようと、引き離されようと神様は見つけ出すまで捜してくれる。
小学2年生の頃、友達との遊びに夢中になりすぎて帰宅が22時近くになってしまったことがあった。時計を見るのも忘れていた。「みんな、暗くなったから帰ろうか。」と友達と解散する。
そして、家の近くまで来ると警察、近所の方、みんなが総出で僕を探し回ってくれていた。
当然と言えば当然なのかもしれない。
小さな子供がその時間まで帰ってこないのだから。
だけど、警察も近所の人も決して僕を見捨てず見つかるまで探し回ってくれた。
「見捨てられていない」
それはどれだけ素晴らしいことだろうか。
神様は今日言われる。「わたしは自分の羊を必ず捜し出す」
ここに私たちを決して見捨てず、見つかるまで捜し続けてくれる神様がいるのだ。
Prayer
愛する天のお父さん
あなたの見捨てない愛に感謝します。どんなに僕たちが散らされても見つけ出してくれることに感謝します。どんなに暗闇にいても救い出してくれることに感謝します。必ず捜すと言われたあなたの約束を握ります。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。