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「喜びの存在」

Scripture

[テサロニケ人への手紙 第一 2:20]

あなたがたこそ私たちの栄光であり、喜びなのです。

聖書 新改訳2017

Observation

パウロにとってテサロニケの人々は・・・

「喜び」

これほど嬉しい言葉があるだろうか。
あなたの存在は、「私の喜びです!」

テサロニケの人々はパウロにとって喜びの存在であった。

Application

イエス様が洗礼を受けられた時、天から声がした。
「これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」
天の父なる神様にとって、たったひとりの御子イエス様は喜びの存在。愛してやまない存在。
パウロのテサロニケの人々への一言は、これと同じ言葉である。
「あなたがたは私の喜びの存在です。」
どれほど尊くて大切な存在なのかが伺える。

最近、我が家に新しい家族が増えた。ウサギの幸(さち)だ。

とにかく可愛い。
良くぞ、我が家に来てくれた!と毎日伝えている。僕にとっては妻に続いて喜びの存在である。そうなれば、とことん愛情表現をする。撫でたり、声を何度もかけたり、抱っこしたり、良くできたらおやつをあげたり、何ならトイレをしている姿まで可愛い・・・。

なぜ、そこまで可愛いのか?

パウロの言葉を借りたい。「喜びの存在」だからだ。では、僕は妻をはじめ身近な人や教会の家族、周りの人に「あなたは僕にとって喜びの存在です」と伝えられているだろうか?それも言葉だけじゃなく、行動も伴って。

パウロは手紙で伝え、直接、会いに行き、伝えたいと書いている。

愛は能動的とタンタン牧師が話されていたが、まさに愛に行動が伴うパウロだった。僕も今日、「喜びの存在」ですとこの言動を通してちゃんと伝えられる者となっていきたい。

Prayer
天のお父さん
パウロにとってテサロニケの人々は、「喜びの存在」でした。僕にとっても家族、教会のみんな、喜びの存在がいます。その人達を当たり前に思わず、感謝し、僕にとって喜びの存在であることを伝えていくことができますように。何より僕たち一人一人を、神様の喜びの存在としてくださっていることに感謝します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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