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「同じようになりたい」

Scripture

19しかし人々は、警告に耳を傾けようとしませんでした。「かまいませんとも。それでも王が欲しいのです。 20よその国々と同じになりたいのです。王が私たちを治め、戦いを指揮してくれるでしょう。」
1サムエル記19:20 リビングバイブル訳

Observation

実に興味深い民の言葉である。
「よその国々と同じになりたいのです。」

サムエルが高齢になったことで民は今後を心配した。一体、誰がこれからは民を導くのか?なぜなら、サムエルの息子たちは金に目が眩み、自己利益ばかりを追求するどうしようもない者たちだった。民はこんな奴らには任せてられないと心配で仕方なかった。

するとどうだろう。
周りの国を見ると、なんだかいい感じじゃないか。
隣の芝は青く見えると言ったもの。
どうやって国を治めているのか?
国の代表として王様をたて、この王が一国をまとめていたのだ。

Application

「いい感じ」に見えた他国の方法を彼らはすぐにでも取り入れようとした。
しかし、このことに神様はこう答えた。
「それはサムエルを退けたのではなく、王であるわたし、神を彼らは退けた。」
これまでサムエルは通り良き菅として神様と民の間に立ってきた。それは一見、サムエルが民を導いたように思うけれど、そうではない。神様がずっとイスラエルの民を導いてきてくださったのだ。だけど、それよりも何よりもイスラエルの民はとにかく「隣の芝が青く」見えて仕方なかった。

隣の芝はどうして良く見えてしまうのだろうか?

僕自身、すぐに他人と自分を比べてしまう。
そして向こうはすごい。自分はダメと考える。隣はいいな。でもこっちはと思ってしまう。しかし、目を向けるべきところはそこではない。
なぜなら、他の国のようになりたい一心でわがままを通したイスラエルの民に対してそれでも神様は優しかった。続く章を見ると、彼らの行く道を守られたのだ。同じように、どんなに自分勝手でも僕を守り、導いてくださる神がいるのだ。

そして神様はちゃんと、民に警告した。

それを無視するなら大変なことになると聞いた上で、イスラエルの民は「かまわない」と言った。警告を聞くことができなかった。どうしても「なんとしても」という思いや、プライドが神の声を聞けなくしてしまう。結局、自分の願いが優先されてしまうのだ。

彼らの問題は本当に導く人に左右されたのだろうか?
いいや、彼らの最も大きな問題は心が頑なであったことだ。そして盲目になり、ここまで助け導いてくれた神様さえ見えなくなっていた。

1、隣の芝は良く見えてしまうもの

2、心の問題である
持っているものが違うから結果や状況が他と違うのではなく、心の問題

3、神さまが与えてくれた「太一らしく」生きる

Prayer
恵み深い天の父なる神様
僕の心を守ってください。自分の足りなさと人のすごいところを比べては、卑下する自分がいます。いいなと思ってしまう心がなんだか、醜くて仕方ないです。でも、どんなに様々な励ましや成功を経てもきっと、この心が変わらなければと強く受け止めます。どうぞ、新しい心と霊を注いでください。
あなたにユニークに造られた太一として精一杯、いつも喜び、感謝し、祈り続けます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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