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「信じ抜く」

Topic:信仰、再臨

 

Scripture(聖書)

再び来られた主は、その日、ご自分のものであるクリスチャンたちによって、誉れと賞賛とをお受けになります。そして、私たちが伝えた神のことばを信じ抜いたあなたがたは、主と共に生きる者となるのです。

(第二テサロニケ1:10 リビングバイブル)

 

その日に主イエスは来て、ご自分の聖徒たちの間であがめられ、信じたすべての者たちの間で感嘆の的となられます。そうです、あなたがたに対する私たちの証を、あなたがたは信じたのです。

(第二テサロニケ1:10 新改訳2017

 

When he comes on that day, he will receive glory from his holy people—praise from all who believe. And this includes you, for you believed what we told you about him.

(2 Thessalonians 1:10 NLT

 

 

Observation(観察)

聖書はイエス様が再び来られること、いわゆる「再臨」が必ず起こることを明確に語っている。

その時、信仰者たちは大興奮の礼拝をささげることになる。

その信仰はどこから来たのか?・・・パウロたちが伝えた神のことばと証による。

そして、その神のことばを信じ抜くことが鍵なのだ。

 

 

Application(適用)

クリスマス、初臨については信じる信じないは別として、クリスチャンではなくとも、世界中の人が知っている。

しかし、キリスト教信仰は「初臨」だけではなく「再臨」をも信じるのだ。

再臨を意識する、再臨信仰に生きることが大事なことなのだ。

 

今日の10節で印象的だったのはリビングバイブル訳の「信じ抜く」という言葉。

迫害の中で、苦難の中で信仰を捨ててしまう者たちもいる。

僕が信仰をもった14歳から34年。

多くの信仰を捨てて、信仰から離れていく人を見てきた。

理由は様々だろう。

誰かにつまづいた、家族の反対、世の誘惑・・・。

あれほど熱心に仕えていたのに、あれほど熱心に伝道していたのに・・・という人たちもいる。

 

信仰は「信じ抜く」ことが大事なのだ。

最後まで信じ抜く、信仰の歩みを完走すること。

 

先日、73歳で天に召された小坂忠師は沢山の賛美を作った。

日本の賛美を変えた器だ。

その忠師が作った歌の1つ「勝利者」は一般のテレビでも取り上げられるほどの名曲で僕も大好きな曲だ。サビの歌詞にはこうある。

 

利者はいつでも
苦しみみながら
それでも前に向かう

 

利者はいつでも
つきみながら
それでも前に向かう

 

テサロニケ教会が経験した苦難とは異なるが、いつの信仰者にも苦しみは存在する。

プレッシャーやストレス、不安がある。

 

しかし、やがて来られる主を待ち望みながら、信じ抜く。

与えられている御言葉を信頼して、握って、信じ抜く。

 

今日も信じ抜く。

 

 

Prayer(祈り)

主よ。

5月半ばだというのに少し肌寒い朝です。

なんだか、このところ悲しいニュース、悲しい知らせが多いように感じます。

目をそらしてはいけない現実があります。

しかし、そこにばかり目を向けていてはいけないことも教えられます。

やがて来られる主を待ち望み、天の故郷に憧れ、希望を抱いて、約束の御言葉を握って、信じ抜く者とならせてください。

信仰から離れてしまっている者たちが、再び信仰に歩むことに戻ってくることができますように。

救い主イエス様の名前でお祈りします。アーメン

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