Topic:信仰、奇跡、みことば、聞き従う
Scripture(聖書)
39「さあ、石をわきにどけなさい。」イエスは人々をうながされました。マルタがあわてて止めました。「でも、もうひどいにおいがしています。なにしろ、死んでから今日で四日ですもの。」
40イエスはマルタにおっしゃいました。「もし信じるなら神のすばらしい奇跡を見る、と言ったはずです。」
(ヨハネ11:39-40 リビングバイブル)
39“Roll the stone aside,” Jesus told them. But Martha, the dead man’s sister, protested, “Lord, he has been dead for four days. The smell will be terrible.”
40Jesus responded, “Didn’t I tell you that you would see God’s glory if you believe?”
(John11:39-40 NLT)
Observation(観察)
死んだラザロがイエス様によって生き返るという奇跡中の奇跡。
イエス様がラザロが眠る墓に到着した時の状況は絶望的状況。
死んで4日も経っているのだから。
しかし、イエス様は墓を塞ぐ石をわきにどけろと命じられる。
最後にもう一度、ラザロの顔を見るにしても、4日も経っているのだから、さすがに腐敗が進んでとても見ることが出来る状態ではないのだ。
誰もが失望落胆のどん底にいる中で、イエス様が次に放った言葉は驚くべきものであった。
そして、それは神様はどのようなお方なのか?
信仰とはどのようなものなかのか?
について目が開かれる驚くべき言葉であった。
「もし信じるなら神のすばらしい奇跡を見る、と言ったはずです。」
Application(適用)
不可能を可能にする・・・それは命あってこその言葉であると普通は思う。
つまり、死を前にしては何もかもが不可能となる。
しかし、神様に不可能な領域などない。
死という誰も乗り越えることの出来ない領域においてもイエス様にとっては圏外ではない。
そこで、問われるのは「信仰」である。
「信じるなら神の素晴らしい奇跡を見る」という「信仰」である。
長い間、牧会伝道やミニストリーをしていると数々の奇跡を体験する。
一方で、行き詰まりや閉塞感も経験する。
特に日本のような国では、いつまで経っても変わらない現状にガッカリすることも多いのである。
多くの犠牲を払い、睡眠時間を削り、文字通り命を削るように献身的にミニストリーをしても大きな変化が起きない時、疲れと失望の闇に覆われていくのだ。
大きな墓石に塞がれるような閉塞感を味わうのだ。
しかし、そこからが信仰の肝だ。
信仰を働かせる絶好の機会なのだ。
神の素晴らしい奇跡を体験する時なのだ。
ラザロが生き返るという奇跡はどのように起こったのか?
41人々は言われるままに石を取りのけました。・・・
イエスの言葉に聞き従った時に奇跡は起きたのだ。
実にシンプルである。
ピンチの時ほど基本に立ち返るべきなのだ。
イエス様の言葉に聞き従う。
相変わらずコロナ状況に振り回されることに苛立ちを覚えたりする。
この夏も幾つもキャンプが中止に追い込まれたりしている。
しかし、ピンチはチャンス。
もっともっと日本の教会の宣教が主を信頼し、主の言葉に聞き従うように促されているのだ。
NHYの18年の奇跡の根幹は主の言葉に聞き従うこと、つまり日々のデボーションである。
これからも、今まで以上に日々のデボーションを大切にし、それを教え、共に聞き従っていくことである。
その時に、必ず神の素晴らしい奇跡を見るのだ。
Prayer(祈り)
主よ。
今日も暑い暑い夏日です。
セミは思いっきりミンミンと鳴いてあなたを賛美しています。
僕もあなたを賛美します。
NHY18年の歩みは奇跡の連続でした。
お金もない、建物もない。
まさに何もない教会がここまで守られ、用いられ、祝福されてきたことは奇跡です。
これからも、どんなピンチが襲ってきても、それを信仰を働かせる機会とし、奇跡を見ることができますように。
たとえ、それが遺体が葬られている墓石をどけるような愚かで非常識に思えることであっても、主が語られることなら、聞き従うことができあすように。
ますます、あなたの言葉に聞き従う者、聞き従う教会でありますように。
救い主イエス様の名前でお祈りします。アーメン