Scripture
何かを、自分が成したことだと考える資格は、私たち自身にはありません。私たちの資格は神から与えられるものです。
2コリント人への手紙3:5 新改訳2017
Observation
ああ、パウロだなと思わされる言葉。
自分のことを罪人のかしらとまで言った男は、自分には本来そんな資格はなく、値しないものであると言う。けれど、その資格はどこからやってくるのか?
神様からだ。
Application
先月、自動車免許の更新をしてきた。
初の優良コースで、ついにゴールド免許取得が叶った。今でこそ運転が何不自由なくできているが、免許を取得した時はこんなに難しいことがあるのかと思った。運転の実技だけではなく、筆記もあり、一つの資格を取るのにそれだけの費用と時間がかかった。これはどんな資格でもそうである。取得するのに費用と時間がかかるのだ。そして、必ずあるのが資格試験である。
この試験を合格しないと資格ゲットできない。
しかし、僕は自分を振り返ると神様のテストにどれも合格できていない。失敗だらけ、罪だらけ、よく深く、傲慢である。どれだけ自分勝手にやっているか。どれひとつとして神の提示した合格基準に達していないものである。だけど、その資格が与えられるのだ。それも神様ご本人から。
決して変わらない約束。
なのに、僕は人を裁いてばかりだ。
あの人にはこの資格がない、とか。あれではちょっとと思ってしまう。なんて醜いのだろうか。自分が、どれも合格基準に達していないのにも関わらず、神の愛と憐れみにより資格を与えられているのに、どうしてこうも自分のことを棚に上げてしまうのか。
そんな愚かなものを憐れみ、資格を与えてくださる神様にもっと感謝しよう。
本当は落第なのだ。
でも、神の恵みがあり救われている。
Prayer
愛する天のお父さん
本当なら、僕は落第です。不合格です。資格を受けるにふさわしくありません。でも、僕を赦し、僕を救い出し、本来受けるに値しない恵みを与えてくださってありがとうございます。どうか、あなたの恵みに生きるものとならせてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン