Scripture
イエスは言われた。「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」
するとすぐに、その子の父親は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」
マルコの福音書9:23−24 新改訳2017
Observation
霊に取り憑かれた息子を救ってくださいと父親は助けを求めにやってきた。しかし、弟子たちにはどうすることもできなかった。その状況を見て父親はげんなりする。それでなのか、イエス様に向かっても「もし、できるなら」と半身疑っていた。
しかし、イエス様は「できるなら、と言うのか。信じるものにはどんなこともできる」と言われた。
Application
イエス様に「信じる者にはどんなこともできる」とズバッと言われた父親はどうしたか。
「不信仰な私をお助けください」
自分は不信仰ですと告白した。
僕にできるだろうか?
僕なら言い訳をする。
いや、自分が不信仰なのではなく、あなたの弟子たちが不信仰だから癒されなかったんですよと絶対に文句を言う。そして、これまでに何をやっても無理だったからかこそ、父親の心にはどこか「もし、おできになるのなら」という思いだったのではないだろうか。
どんなに願い、どんなに試みても上手くいかないことがある。思う通りにいかないことがある。挑戦あるのみなのかもしれないけれど、どこかで僕たちの心は折れかける。誰にもどうすることもできないことがある。
しかし、イエス様にできないことはない。神様に不可能はない。
そのことを疑い、信じ切れていないどこかに自分がいる。
僕は、それなのに「私は不信仰です」と告白すらできない。言い訳し、また言い訳する。
この父親のように自分の不信仰さ、弱さを正直に神様に告白して「助けてください」と言える者でありたい。
できるならやってみろと神様に祈るものではなく、「助けて欲しいんです」と素直に祈れるものでありたい。
Prayer
愛する天のお父さん
僕は強情です。言い訳がましいです。でも、自分の中に疑いがあり、カケがあると認めてこの父親のように「僕は不信仰です、助けてください」と素直にあなたに祈るものとなれますように。あなたに不可能はないと信じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。