Scripture
しかし、彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」
ヨハネの福音書8:7 新改訳2017
Observation
律法学者、パリサイ人たちは姦淫の罪の場で捕らえられた女性をイエス様のところに連れてきた。イエス様に救いを求めてきたのではなく、彼女を裁くために彼らはその女性をみもとに連れてきた。そして、律法通りのお願いをする。
「このような罪を犯したものは律法では石打の刑です。」
イエス様はこう返事をされた。
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」
Application
イエス様のこの問いかけに皆、黙ってしまう。
そして、一人、また一人と律法学者、パリサイ人たちはその場を去っていく。残ったのは、女性とイエス様の二人だけだった。
イエスを試し、女性を裁きに来た律法学者たちだったが、イエス様に圧倒される。
彼ら律法学者、パリサイ人たちを見ているとまるで自分のように見えてくる。
人を裁き、人の失敗ばかり目につき、人の弱さをつい見てしまう。
そんな自分の汚い心に気付かされる。
人のちりではなく、自分の中にある大きな梁を見よと聖書は言うが、それが全くできていない。むしろ、いつまでも周りの人のちりが気になって仕方ない。でも、今日の出来事が全てを物語っている。義人はいない。一人もいない。皆、罪人だと。イエス様はこの罪人である僕のために、この地上にお生まれになってくださった。それは、全ての罪を身代わりに背負うため。代わりにあの痛々しい生々しい十字架の刑に処するためである。
それを知っていて、その愛を受け取っていてなお、
それでも自分よりも他人のちりばかりを気にする自分はなんだろうか。
嫌になる。こんな自分くそったれだと思いたくなる。
しかし、このクソッタレのために命をかけてくださったイエスがいる。
こんな僕に、いや生きなさいと命を与えてくださったイエスがいる。
このクリスマスの時、自分が誰よりもイエス様の大きな愛にとらえられ、その光に照らされて感動すると同時に、一人でいい。誰かのそんな暗闇を照らす光となりたい。人の暗闇をさらに闇で覆うのではなく、主イエスの暖かい光を届ける器となりたい。
Prayer
愛する天のお父さん
イエス様をありがとうございます。イエス様、この地上に来て僕の罪のために十字架にかかり命をかけてくださって本当にありがとうざいます。それで終わらず、三日目によみがえってくださってありがとうございます。十字架上で流されたあなたの血潮のゆえに、赦されていて、愛されていることに感謝します。どうか、このクリスマスの時、いやそうでなくてもあなたのこの希望の光を届ける器として、用いてください。救い主イエスキリストのお名前でお祈りします。アーメン。