Scripture
そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年間、このいちじくの木に実を探しにきているが、見つからない。だから、切り倒してしまいなさい。何のために土地まで無駄にしているのか。』
番人は答えた。『ご主人様、どうか、今年もう一年そのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥料をやってみます。』
それで来年、実を結べばよいでしょう。それでもだめなら、切り倒してください。』」
ルカの福音書13:7-9 新改訳2017
Observation
3年間、実を実らせることができていないいちじくの木を前に2つの意見があった。
ある人は、今すぐ切り倒してしまえと言い。
ぶどう園の番人は、もう1年待ってくださいと言った。
さあ、結果は?
Application
実は聖書にはその結果が書かれていない。
なぜ、書かれていないのか・・・は分からない。でも、大事なのは結果ではないのかもしれない。なぜなら、2人の登場人物が一つの木の実りに対して違った態度を示しているからだ。そこが重要な気がする。
一方はすぐに切り倒せ。
もう一方は、いや待ってくれ。
しかも、ぶどう園の番人は、待つだけではなかった。
「木の周りを掘って、肥料をやってみます。」
手入れをもう一度する、と言うのだ。もうダメだと言われている木に対して、待ってください、もう一度出来うる限りを尽くしますので、一年せめて待ってくださいと彼は言ったのだ。
僕はどうだろうか?
人に対して、人の魂に対してこれほどまでに全身全霊を注いでいるだろうか?いや、正直、ここまでできない。人に対して怒ってしまい、諦めてしまい、投げ出してしまうことがあるからだ。そんな自分勝手な自分の姿を、まざまざと突きつけられた。自分だったら、木の周りを掘って耕し、肥料をあげる。諦め、怒った相手にそこまでできるだろうか?
とてもチャレンジされる聖書の言葉に今日出会えた。
他でもない神様が、僕に忍耐強くあられ、僕のために最善を成してくださる。そのことのゆえに、今の僕がいることを忘れないでいたい。
Prayer
天のお父さん
あなたの愛に比べて、僕の愛はちっぽけです。忍耐もない。簡単に諦めてしまう。でもどうか、今日のぶどう園の番人のように人を諦めない。裁かない心を与えてください。むしろ、何がその人のためにできるのか最善を祈り、行動できるものとならせてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。