Topic:信頼、信仰、約束、希望
Scripture(聖書)
彼らの叫びを聞いて、救い出してくださいました。
助けを求める人々を、ただの一度も失望に終わらせなかったのです。
(詩篇22:5 リビングバイブル)
あなたに叫び 彼らは助け出されました。
あなたに信頼し 彼らは恥を見ませんでした。
(詩篇22:5 新改訳2017)
Observation(観察)
詩篇22はメシヤとしてのイエス様が見捨てられる苦しみを描いている、と言われている。
わが神 わが神 どうして私をお見捨てになったのですか。・・・
(詩篇22:1 新改訳2017)
この言葉はまさにイエス様が十字架上で口にした言葉そのものである。
そして三時に、イエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」訳すと「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
(マルコ15:34 新改訳2017)
では、希望はないのか?・・・聖書の答えは「希望はある」「必ずある」「絶対ある」である。
主は、主を信頼する者を決して裏切らない。見捨てない。
裏切られたように感じることがあるだろう。
見捨てられたように見えることがあるだろう。
すべての希望が絶たれたように思えることがあるだろう。
しかし、聖書の約束は「そのまま失望に終わることは絶対にない」というのだ。
主を信頼し、主に助けを求める者に対する主の答えは、「ただの一度も失望に終わらせない」なのだ。
ただの一度も。
Application(適用)
この詩篇22:5の言葉を読むと、ローマ10:11も思い出される。
聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」
(ローマ10:11 新改訳2017)
僕にとっては、ロマ書10:11は昔の新改訳の方が馴染み深い。
「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
これは、14歳で救われ、今日まで紆余曲折ありながらも33年信仰生活を送ってきた僕にとって、まさに「アーメン」な御言葉だ。
これまで、すべてが計画通り、願い通り、思い通りだったわけではない。
むしろ、待たされることの方が多い。
想定外のことだらけ。
しかし、振り返ると最善がなされてきた。
今朝、改めて主の真実さを思い知らされる感謝で胸が熱くなる。
僕は何度も主の信頼を裏切り、悲しませてきた。
主を失望させてきたことは数え切れない。
それなのに、主は十字架の恵みを与え続けてくださる。
どのようにして、この主の御愛に応えることができるだろうか。
①主の真実さを感謝する。
②己の不真実さを悔い改める。
③主の真実な愛に応える。
④主の真実な愛を伝える。
Prayer(祈り)
主よ。
少し肌寒い土曜日の朝を迎えています。
けれども、御言葉に触れると不思議と心が暖かくなります。
胸が熱くなります。
主よ、絶望している者に主の希望の約束が届きますように。
「彼に信頼する者は、失望させられることがない」という言葉を受け取り、主を信頼し、主の真実を経験することができますように。
希望が見えにくい時代かもしれませんが、僕が、僕の家族が、NHYが、主の希望を語り続けることができますように。
希望の主イエス様の名前でお祈りします。アーメン