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「膝をかがめて」

Topic 祈り

Scripture

こういうわけで、私は膝をかがめて、天と地にあるすべての家族の、「家族」という呼び名の元である御父の前に祈ります。どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。

エペソ3:14ー16 新改訳聖書2017

Observation

パウロの祈りの姿に心打たれる。

彼は愛するエペソの教会の人々を思い、祈り続けていた。しかも。。。

「膝をかがめて」お祈りしていた。

パウロは膝をかがめてエペソの人々のために真剣に祈った。

第一に、彼らの内なる人が強められるように。

第二に、もっとイエス様の愛を知れるように。

Application

何よりパウロは、エペソの教会の人々を「家族」と呼ぶ。

そう、キリストにあって分け隔てもなく皆がキリストの家族、オハナであるとパウロは宣言する。その家族のために、彼は膝をかがめて真剣に祈るのだ。

今日の伝道者の書には、人は一人では倒れてしまうけれど、二人ならばまた立ち上がれるとある。

一人では人は辛いことがあれば、心折れてしまうこともある。

また内なる人が弱ってしまうこともある。

一人で強く生きられる人はいない。

パウロ自身もその一人であった。だから彼は他の手紙の中でも自分のために祈っていて欲しいと訴えているほどだ。そんなパウロだからこそ、エペソの人々を思い祈り続けた。

誰かのために祈る。

それができていても果たして膝をかがめるほどに祈っているだろうか?

残念ながら教会の家族が、このコロナ禍にあって見えないところでどうしているのかは100%分かりきれない。毎週会えていたはずが、それも困難。教会で何か奉仕することも困難。オンラインのみに限られることが多い。ならば、何ができるのか?

僕らには「祈り」がある。

教会の家族を思い、膝をかがめて祈るパウロのように祈るものでありたい。

みんなの弱った内なる人が強められるように。

イエス様の愛でみんなが満たされるように。

祈りは力である。

Prayer

愛する天の神様

教会の兄弟姉妹、家族を思います。今、苦しんでいる人がいるならその人の苦しみをあなたが背負ってください。悲しんでいる人がいるなら、その悲しみをあなたが拭ってください。喜んでいる人がいるなら、主よあなたがともに喜んで下さい。助けを必要としている人に、あなたの助けがありますように。あなたは確かに祈りを聞いてくださっていると信じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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