ずっと一緒にいた人

Topic 心

Scripture

21-22だから今、ユダの代わりにほかの人を、イエスの復活の証人に選ばなければなりません。選ばれる者の資格ですが、何と言っても、初めから私たちと行動を共にしてきた人でなければいけません。そう、イエス様がヨハネからバプテスマを受けて以来、別れを告げて天にのぼられるまでの間、ずっと私たちといっしょにいた人です。」
使徒1:21−22 リビングバイブル訳

Observation

ユダがいなくなり、11人となった使徒たちは数日に渡る祈り会に参加していた。するとペテロがある時、立ち上がって提案をする。突然、勢いよく提案するあたりがペテロらしい。
いやでも祈り会にいたからこそ、何か示されたのだろう。
その提案は、イスカリオテのユダがいなくなった次の人を選出しようというものだった。

彼らはどうやって次の候補者を選んだのか?

能力? 
経験?
知恵?
外見?
地位?

選ばれる者の資格は・・・

「何と言っても、初めから私たちと行動を共にしてきた人でなければいけません。そう、イエス様がヨハネからバプテスマを受けて以来、別れを告げて天にのぼられるまでの間、ずっと私たちといっしょにいた人です。」

Application

何と言ってもずっと行動を共にしてきた人を候補に選ぶ。イエスさまが洗礼を受けてから天にのぼられる間、一緒にいたものを選ぶ。それが次の候補者の条件だった。

他には何も条件がなかった。
条件は1つ。
ずっと一緒にいた者。

ずっと一緒にいた者なんていくらでもいるんじゃないか?そう思えるが、イエス様についてきた弟子たちが通ってきた道は決して簡単な道のりではなかったはずだ。様々な試練がある中で、12弟子はずっとイエス様について来た。それって実はすごい事だ。誰にも真似ができない事である。

技術的なことや経験はいくらでも身につけていくことができる。だけど、忠実さだったり、心というのはそう簡単に養うことができるものじゃない。ペテロたちが候補に選んだのは、いかなる時も共に苦楽を乗り越えて来たもの、諦めずにここまで来たもの、そしてイエス様のことをずっと見続けてきたものだった。苦楽を共にしてきたものだった。

気をつけないと表面的な事ばかりを大事にしてしまう。

しかし聖書では・・・

「人はうわべを見るが、主は心を見る。」

とあるように、実は内側がとても大切である。
どんな困難でもどうしてその者はついてきたのか。一緒にここまで来たのか。そうした見えない内側をペテロたち使徒は大事にした。

1、主は心を見られる

2、継続は祝福なり

3、共に乗り越えてきた仲間の存在はかけがえない

Prayer

愛する天の神様
イスカリオテのユダが抜けて次のものは、ずっとイエス様、使徒たちと共に行動をしてきたものでした。僕の周りでもずっと一緒に乗り越えてきてくれた仲間がいてくれた事に感謝します。一人じゃなかった事に感謝します。今日もイエス様の心を教えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。